今日も迷走中!!~鬱と向き合うオジさんの記録~

毎日迷走中のおっさんのブログです。主に鬱病の体験記です。その他、仕事の事、趣味の事などいろいろと書いていきます。

鬱病7年目…2度目の社会復帰と混乱

鬱病7年目の夏だったと思います。

新しく処方して頂いた漢方薬のおかげで、落ち着いて過ごせるようになり、主治医からも、社会復帰へ向けてのGoサインを頂きました。

  



念願のGoサインを頂いたものの、一度失敗しているだけに「大丈夫かな?」と言う不安もありました。

毎週日曜日は、前の職場のデイサービスのドライバーさんが趣味でやっている畑の手伝いをさせてもらっていました。

その為、外出する機会も増えてはいたものの、就職して新しい環境での生活、大勢の中に飛び込む事に不安がありました。

 

そんな訳で、練習を兼ねて『福祉施設の合同説明会』に参加する事にしました。

参加者にはクオカードと、介護の本が配られるとの事。

その為、初めから意気込んでいくと緊張で遣られそうだったので、「貰えるものだけもらいに行こう」くらいの気持ちで行くことにしました。

  



社会復帰に向けて主治医から

「仕事は今までのように頑張り過ぎない」

「気持ちのアクセルを踏み過ぎない」

「夜勤は控えた方がいい」

そんなアドバイスをいただきました。

でも、夜勤なしと言う求人がなくって…。

 

たしか、2件くらいは説明を聞かなければならなかったような気がします。

その為、話を聞きに行くものの…

あまり、良い印象がないまま説明を終えてしまう事ばかりでした。

 

「自分のリハビリのつもりで、もう一軒聞いてみよう」と、ある施設のブースへ。

 

「あの…デイの募集はしてますか…?」

 

たぶん、あの場ではデイの募集はしていなかったのかもしれません。

でも、「募集してますよ」と、随分と丁寧に説明してくれました。

 

施設のパンフレットを貰って、帰りに車で施設を見に行ってみました。

 

「ちょっと遠いかな…」

そんな感じの印象しかありませんでした。

 

 

 

その日の夜、妻と車で移動していると、わたしの携帯に着信があり、「ぜひ見学に来てほしい」と丁寧に説明をしてくれた職員さんから電話がありました。

   

 

「就職先は焦らずに探そう」と思っていたのですが、その日のうちに連絡を頂き、何だか感激したのを覚えています。

それで、見学に行かせてもらうことになりました。

そこで、介護係長さんと色々とお話させていただきました。

自分が考えていた事と係長さんの考えが近かったこともあり、妻とも相談してこの施設の面接を受けることにしました。

 

ハローワークなど何かと手続きやら説明会やらが多くてかった事。

それとハローワークで「もっと色々な職場を見てから決めた方がいいのでは?」などの話もあり、直ぐに面接に行くことはできませんでしたが、何とか就職する事ができました。

 

 

勤め始めたのはこの年の9月からだったと思います。

ただ、あれだけ「早く働きたい」と思っていたのに、いざ勤め始めると最初の2週間くらいは足が竦んでしまって、なかなか思うようにいきませんでした。

見学の時に介護係長さんと話した事も、いざ働きだすと「???」と言う感じでした。

当時書き出したノートにも「やっていける自信がない」と言うような事が書いてありました。

 

 

そんな時、当時の看護部長さんが「遠慮しないでいいよ」と声を掛けてくれたこと。

それと、同僚が入浴介助の時に無茶ぶりしてくれたことで、緊張がほぐれた事を覚えています。

また、お風呂介助の後、短パンで廊下を歩いていたら看護部長が、「随分いい脚してるね。自転車でも乗ったら」なんて声を掛けてくれたのをきっかけに、妻に頼んでロードバイクに乗るようにもなりました。(これは年明けからだったかな)

  

   

 

仕事に関しては、主治医からのアドバイスが頭を離れませんでした。

「仕事は今までのように頑張り過ぎない」

「気持ちのアクセルを踏み過ぎない」

自分ではどうしたらいいのか分からず、迷いながら仕事をしていました。

また、前回の職場での事もあり、調子よく仕事を押し付けてくる職員に対しては、物凄く拒否反応がありました。

前回の職場の事…詳しくはこちら↓↓↓

ossanmeisocyu.hatenablog.com

 

仕事の事だけに集中できればいいのだけれど、主治医からの言葉や調子の良い同僚の事など、モヤモヤがどんどんと増えていきました。

   

また、そのモヤモヤをうまく発散できずにいました。

 

それでも、利用者さん達と折り紙したり、レクリエーションで盛り上がったりするのは非常に楽しかったです。

 

色々と会ったけど、鬱病7年目の2度目の社会復帰を何とかスタートできた。

そんな1年でした。