2度目の社会復帰…「今度こそ失敗できない」と言う気持ちがとても強かったです。
家族に心配を掛けたくない。
家族に迷惑を掛けたくない。
なにより、もう鬱を再発させる事は、何としても避けたかった。
いや…もう鬱にはなる訳にはいかない。
あんな辛い思いを…家族にもさせたくなかった。
わたし自身も、もう繰り返したくなかった
そんな気持ちの中…
「無理しすぎないように」
「今までのような仕事の仕方ではダメ」
などの主治医からのアドバイスがありました。
でも実際にどうしたらいいのか…。
「無理しすぎないように」と言われても、
仕事に行けば、そうも言っていられない事は沢山あるし…。
でも、鬱を繰り返さない為には、主治医のアドバイスは『絶対に守らなければならないもの』として、わたしの中で大きなものとなって行きました。
そんな中、1回目の社会復帰の際に、上司のパワハラに屈して無理をしてしまった事や、自分の仕事を投げ出して全て、わたしに全て押し付けてきた上司や同僚の為に、体調を悪くして退職したことが頭を離れませんでした。
社会復帰1回目…詳しくはこちら↓↓↓
わたしの中で、「無理をしない」「今までのような仕事の仕方ではダメ」と言う言葉と、『社会復帰1回目の失敗』ががっちりと結びついてしまい、『もう鬱にならない』という気持ちをさらに強くさせていきました。
色々な要素が相まって…
気が付けば自分を守るために、沢山の壁を作るようになっていました。
そして、壁を乗り越えてくるモノに対しては、自分を守るために攻撃的になっていたような気がします。
もともと、社交的な方ではないのですが、人と距離をとるようになりました。
仕事上、利用者さんとは普通に話したり、冗談を言ったりできるのですが、同僚とのコミュニケーションは、日に日に苦手になって行きました。
特に、仕事をさぼったり、仕事を押し付けてきたりする『調子のいい同僚』に対しては嫌悪感が強くなり、それがどんどん怒りに変わり、寄せ付けないようになっていきました。
また、「今までのような仕事の仕方ではダメ」というアドバイスから、無意識に『今までの自分』をどんどん否定していくようになりました。
『今までのような仕事』が、いつの間にか自分の中で『今までの仕事』に変換されていたような気がします。
『今までの仕事はダメ』と変換されてしまうと、仕事に対する自信がどんどんなくなっていきました。
そして、いつの間にか『仕事』に対してだけではなく、『自分自身』も否定する対象になり、『自分の好きな事』『自分のやりたい事』に対しても『ダメ』となって行きました。
そうやって、知らず知らずの間に、自分をどんどんと追い込んでいたのです。
根本にあるのは『もう鬱にならない』という気持ち…。
『自分を守るための行動』のはずだったのです。
ところが…
『自分を守る』ためにとった行動は、結果として『自分を追い込む』行動だったのです。
そのことに気付く訳もなく…わたしは迷走していきました。
そして…最後はまた『鬱』になり、休職し、系列の施設に異動し、最後は退職する事となります。
今思えば、また『鬱』になって休職するまでに、何度も「このままじゃ危ないよ」という警告が、わたしの心の奥の方からあったような気がします。
例えば…
眠れない日が多くなってきたり、眠れても日中眠くて仕方がなかったり。
イライラのスイッチが入るのが以上に早くなっていたり。
仕事へ行くのが徐々に憂鬱になって行ったり。
ブツブツと独り言が増えたり…。
何より、仕事中に胸が痛くなり、動けなくなることが何度もありました。
胸が痛いのは、周りには迷惑かけないように…そして、胸が痛い事がばれたらクビになるんじゃないかと言う恐怖もあったので、バレないように誤魔化していました。
(当時、主治医に相談して、胸が痛いときに飲む安定剤を処方してもらい、お守り代わりに持っていました。)
こんなにも沢山の『警報』が出ていたのに、その時は気づくことができなかった訳ですが…。
いや…気づいてはいたけど、また『鬱』になったと認めるようで、無視していたのかもしれません。
わたしが『自分を守る』ためにすべきだったことは何だったのでしょうか。
『今までの自分を否定する事』でも、『自分のやりた事を禁止する事』でもなく、むしろ逆だったのです。
まずは、『自分を認めてあげる事』そして『自分を大切にすること』だったんです
。
そして、主治医からのアドバイス。
「無理をしない」
「今までのような仕事の仕方ではダメ」と言うのも、捉え方。
『体を壊すほど無理をしない』
『自分を殺してまで我慢して…そしてムキになってひとりで頑張らない』
そんな風に考えればよかったのかなと思います。
こんな風に考えられるようになったのも最近の事ですが、今は非常に気持ちが楽です。
『自分の一番の味方は自分』です。
自分を認めてあげることができなくちゃ、自分がかわいそうです。
『自分を信じて、認めてあげる』という事は『自分を大切にする』という事。
つまり、『自分を守る』事なのかなと思います。