鬱病6年目の事と、薬が合わない事をブログに書いていて感じた事を書いてみようと思います。
鬱になってからと言うもの、いろいろな症状に悩まされてきました。
モヤモヤとした気持ち…
無気力な状態…
自分でも驚くほど眠っていた…
逆に全く眠れなかった…
イライラが止まらず怒りが爆発…
それぞれ、わたしには本当に辛い症状でした。
前回の『薬が合わなかった』事をブログに書いていて、全ての鬱症状は『自分を守る為』だったのではないかと感じてきました。
『薬が合わなかった』話。詳しくはこちら↓↓↓
『薬が合わなかった』時に出ていたイライラの大爆発も、打たれ弱くなっている状態のわたしがこれ以上の傷を負わない為に、「自分が触れて欲しくない事」はもちろん、「無茶をしそうな事」「自分を追い込んでいきそうな事」などに対して、イライラを爆発させる形で寄せ付けないようにしていたのかな…と感じました。
無気力な時や、眠り続けてしまうときは、「消耗しきった自分を休ませる」ためだったのかもしれないし…
モヤモヤした気持ちや、眠れなかった時は、「自分で蓋をして気付かないふりをしているけど、本当はこんな気持ちなんだよ」と教えていたのかな…と思います。
何となくですけど、そう考えられるようになったら、辛かったことも辻褄が合うように感じるんです。
鬱病が発症する前は、本当に無理をしていました。
自分の気持ちも押し殺して、「自分が我慢すれば、犠牲になればいいのだから…」と思っていました。
本当は「楽しい」と思う事も、心から楽しめず。
「好きな事も」我慢しなきゃと思っていました。
泣きたいほどの「悲しい」気持ちも、飲み込んで我慢していたし…
自分の意見よりも、人の意見を優先して…
「少しの間我慢すればいい。」
「通り過ぎるのを待てばいい」と
周りから見て『いい人』を選んでいたような気がします。
ひとつひとつは小さな事だったかもしれないけど、積み重なると…ってことですよね。(大きなのも沢山あったけどねw)
自分を無視して、自分を傷つけて…
そんな自分を見ないようにして…
だから、『心の中の本当のわたし』がいろいろな症状を出して、
「これじゃダメなんだよ」
「このままじゃ自分がかわいそうだよ」
「もっとわたしを見てよ」
って訴えていたんだと思います。
『心の中の本当のわたし』が、いろいろな症状を出していたのは自分を助けるため…。
蓋をしてきた気持ちに気付かせる。
無理し続けてきた心と身体を癒す時間を持たせる。
なにより
回復した後に、同じことを繰り返さないように、考え方を変えさせる。
そんな事をさせるためだったのかなと思うんです。
じゃあなぜ「死にたい」「楽になりたい」と一時期思っていたのか?
無理して我慢して身体も心も消耗しきった自分。
でも、実際に参っていたのは「心の中の本当のわたし」の方。
だから、「死にたい」「楽になりたい」と思っていたのは「心の中の本当のわたし」。
だだし、本当に「死にたい」訳ではなくて、それくらい「それ位、辛かった」と言う訴えだったのかなのかなと思います。
「本当に辛かった…分かってよ。こっちを見てよ…。」って。
そんな風に、これまでの症状を考えると、理解できるような気がします。
「ようやくここまでたどり着けた」
そんな気さえします。
それでも、まだまだ心が揺さぶられることも多いし、迷走中です。
ただ、何となく、今持っている悩みにも、対処法が見つかりそうな予感がしています。
自分が今思っている事は…
自分が今感じている事は…
自分が今やりたいと思っている事は…
自分が今悩んでいる事は…
「心の中の本当のわたし」がなぜそう感じさせているのか…?
そうやって考えたら、答えが見えてくるような気がしています。
それが『自分との対話』と言うやつなのかもしれないですね