初めて休職して、殆ど眠れない状態の頃の話です。
当時、時々少しだけ、何とか眠ることができると、おかしな夢を見ていました。
最初に見たのは、わたしが小学生の頃になくなった伯父の家を、子供の頃のわたしが歩き回っている夢です。
子供の頃のわたしが、伯父の家を歩き回っている…VRみたいな感じでしょうか。
あちこち歩き回って、TVの前に座っている伯父の膝の上に座ると、TV(わたしが子供の頃なので、大きなブラウン管のTV)の上に置いてある将棋の王将の置物を見上げます。伯父の膝の上で「ヒゲがチクチク痛いな」なんて思っていると目が覚めます。
それからの夢は、日替わりで、わたしの周りの亡くなった方が次々と出てきました。
亡くなった弟はもちろん、祖父母や、子供の頃よく遊んでもらった父の友人まで。
見た事あるような場所だけど、何か違うような…そして全体に薄っすらとモヤがかかっているような感じの夢でした。
何だったんですかね。みんな心配してくれたのかな。
それとも、お迎えに来ていたのか…。(←不謹慎でスミマセン)
その頃はそんな風に考える余裕もなく、ただただパニックでした。
「何で亡くなった人の夢ばかり見るんだろう…」って。
夢の事が頭を離れず…
「これはお墓参りに来いって言うメッセージなのかも…」
…なんて思うようになりました。。
そうしたら、日に日に、「お墓参りに行かなきゃ」という急かされる様な気持ちが大きくなり、無理を言って、両親と妻に夢に出てきた方たちのお墓参りに連れていってもらいました。
外に出るのも怖くてシンドイのに、無理してでも行かなければという気持ちでした。
だから、道中は車の中でぐったりしていました。
お墓参りツアーが終わると、不思議と亡くなった方が夢に出てくることはなくなりました。
何だったんですかね…。
今考えると、あの頃は、ちょっとおかしな感じだったのかなと思います。
あまり眠れないからなのか?、それだけ、心身が疲弊していたのか?
それとも、処方された薬のせいなのか?…、霊に憑りつかれていたのかw
当時は…
身体中の感覚が敏感になりすぎていたような感じがします。
前にも書きましたが、寝ようとすると耳元で「お前は何をやっているんだ」「お前はもうダメだ」って声が聞こえる時もあるし、モヤモヤ、イライラが止まりません。
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だから、音にも非常に敏感になっていました。
電話はもちろん、外から聞こえるちょっとした話声や犬の鳴き声、車やバイクの音まで。
怖くて怖くて仕方がなかったです。
それから、服を着ているのが辛くてタグはもちろん、縫い合わせている部分が体に触れるのが気持ち悪くて…。
一時になると、どんどんイライラしてくるんです。
だから裸の方が楽でした。
でも、そんな自分がショックでまた落ち込みます。
あとは、鏡が怖かった。
理由は分からないけど、鏡がとにかく怖い!
鏡に映らないように布をかけたり、窓に映るのも怖くて、カーテンを閉めていました。
怖くてカーテン閉めるけど、時々カーテンの隙間から外を除いていました。
何となく気になるんです。
「自分がオカシイのがばれてるんじゃないか?」とか
「通りかかる人が、馬鹿にしているんじゃないか?」とか…。
被害妄想が酷かったのかな。
とにかく、怖くて。でも気になって、時々カーテンの隙間から覗いていました。
それと、父が病気平癒祈願で神社からもらってきてくれた『御札』も怖かった。
何だか見張られているような感じがして…嫌でした。
色々と調べて2か所の神社から『御札』を貰ってきてくれたのですが、それが怖くて怖くて。
気になって気になって、その部屋に入るのも嫌になっていました。
結局、数年たって、落ち着いてから自分で『御札』を神社へ返納しました。
それからは、『御札』も平気になりました。
今では神社巡りが趣味と言うのも不思議ですw
この頃は、自分がどんどん壊れていく感じがして、不安でした。
「鬱の一歩手前じゃなかったのか?最初に先生はそう言ったじゃないか?」
「もう先へ進んで鬱になってしまったのか?いまどうなっているんだろう?」
「自分は一体どうなってしまうんだろう」
「もう普通じゃないのかな…」
とそんな事ばかりが頭を過る日々でした。
主治医に相談しても、病名の事などの話は無くて、「もう少し薬を強くしましょうか?」と言われ、薬が少しずつ強いものへ変わっていきました。
薬も、「飲んだのか」「飲んでいないのか」が分からなくなりました。
覚えていられないんです。
飲んだことを忘れて、何回も飲んでしまうこともあったので、「こんな事も出来ないのか…」とショックでした。
その為、100円ショップで薬ケースを買ってきて、飲み忘れの無いように使っていました。
でもまた、薬のケースを使う事も、情けなく感じて、自信を削ぎ取られるようで、落ち込みました。
あの頃は、何をやっても、裏目裏目に出てしまい、自分を追い込むだけでした。
常に頭が混乱している感じなので、本を読むことも、人からのアドバイスも、イライラする原因でしかありませんでした。
色々な症状に対して、鬱になってから12年近く経った今、こんな風に思います。
誰だって、急に「あなたは鬱病です」何て言われたら、めちゃくちゃショックです。
わたしは「まさか自分は」って他人ごとのように思っていましたから…。
そんなわたしは、自分が鬱病になったという事が
「理解できない」
と言うよりは
「納得がいかない」
という方があっているのかもしれません。
「こんなはずじゃない」
「なんで自分がこんなことにならなきゃいけないんだ」
ずっと、心のどこかで、そんな『思い』が強かったのだと思います。
だから…
「きっとすぐに良くなるはずだ」
「早く仕事に戻らなきゃ」
「早く家族を安心させなきゃ」
「早く、早く…」
そんな風に、焦って行ったのだと思います。
焦る気持ちが、自分自身の状態を見ないようにしていました。
直視できなかったんです。
直視したら…現実を知ってしまったら、そこで終わってしまいそうで。
だから何の根拠もないけど、「大丈夫」って思いたかったんだと思います。
焦る気持ちは、今の状況を受け入れられる訳もなく…。
自分自身の状態が分からないまま、無理に状況を打破しようとして失敗する。
そして、自分に対して強く失望してしまうのです。
「どうしちゃったんだろう…。」
「このまま仕事できなくなったらどうしよう…。」
「わたしはもう、普通じゃないのかな…。」
「もう人生終わっちゃったのかな。」…なんて。
こうやって、鬱の迷宮に入ってしまいました。
色々な症状は、
「心も身体も限界なんだよ~」
「聞いて欲しいことがあるんだよ~」
「気付いてよ~」っていう
自分自身からのSOSだったのに…。
そこに気付けなかった。
気付こうともしなかった。
何とか気付かせようとして、
「これなら気付くかな?」
「これなら分かるでしょ?」
「もっとこうしようか?」って
手を変え品を変え、色々なSOSのサインを出しているのだと思います。
色々なパターンの症状=色々なSOSサイン
そういう事なのかなと思うようになりました。
今までの人生は、そんなSOSを無視していました。
無視した上に、自分に鞭打っていました。
もっと自分の心の訴えに、耳を傾けなきゃいけなかった。
あの頃、そんな風に少しでも思えていたら…なんて考えてしまいます。