前回、前々回と鬱になってからの迷走っぷりをお話ししました。
この頃のわたしは、現実を受け止めることができていなかったと思います。
壊れてしまった自分にショックを受け、
「どうなっちゃうんだろう…」という不安と
「とにかく、早く働けるようにならなくては…」という焦りから
早く何とか元の自分に戻らなきゃ
と思っていました。
主治医には、思うように眠れない事をはじめ、次々出てくる症状を、その都度報告していました。
でも、毎度返ってくるのは、「う~ん。この薬で落ち着くはずなんだけどなぁ~」でした。
そして「もう少し強い薬にしてみましょうか?」と言われ、徐々に薬が強くなっていきました。
カウンセリングでも、「まずは良く寝て体を休めましょう」という事と、症状が出た時の対処法のような話ばかりだったように記憶しています。
頼みの綱は通っている心療内科なのですが、毎度同じ事ばかり言われるているようで、余計に不安でした。
「家族から他の病院も受診してみては?」と勧められましたが、当時は外出することも、人と話すのも恐怖だったので、他の病院に替えると言うのは考えられませんでした。
あの頃は特に、人に何か言われると、頭が働かずパニックになってしまう感じでした。
それは、家族からの言葉も同様でした。
パニック状態のわたしには、掛けてくれる言葉の真意をくみ取る事も出来ず、イライラしてしまうだけでした。
イライラのスイッチは、薬が強くなるにつれて、瞬時に入るようになっていました。
そして…
自分で自分が分からない。
自分で自分をコントロールできない。
考えても考えても、頭が回らない…。
どんどん自分が自分じゃなくなっていく…。
そんな風に感じていました。
当時は『鬱の一歩手前』という最初の診断を信じ、『まだ自分は鬱じゃない』と思っていました。
だから、余計に自分の状態を見ないようにしていたのかもしれません。
こんな状態なので、『自分の病気について知ろう』という発想には至らす…。
『自分が苦しんでいる症状が無くなればいいんだ』と思うようになり、自分なりに何とか乗り越えようとしたのだと思います。
頭が回らないのに、自分では冷静な判断ができていると思っていました。
でも、実際はできるはずがありません。
だから、社会復帰へ向けての課題も、ちょっと感覚がずれていたのだと思います。
冷静な判断ができないのが鬱病なのだから…。
あの頃は…
鬱になった自分が信じられませんでした。
沢山の『こうでなければならない』という考えに、支配されていました。
『自分が我慢すればいいんだ』と思っていました。
もしも、腹を据えて『鬱病』と向き合うことができていたら、どうだったのでしょう。
もしも、『○○でなければならない』という考えが、自分を苦しめていると理解できていたら、どうだったのでしょう。
もしも、『自分の本心に気付く事の大切さ』、『自分を大切にする』という事に気付けていたら、どうなったのでしょう。
もしかしたら、こんなに長い間、鬱病と付き合う事もなかったのかもしれません。
でも、そんな発想は全くありませんでした。
不安と焦りに翻弄されながら、自分を見失い、迷走していました。
今のわたしが、あの頃のわたしにアドバイスできるのであれば…
眠れない事を『悪』として自分を責めていた自分に、
「深刻に考えなくていいよ。誰だって眠れないときはある。昼間でも夜でも、眠くなったら寝ればいい。」
と言ってあげたい。
色んな症状に苦しむ自分には…。
「心も身体も悲鳴を上げてるよ。まずは身体をしっかり休めよう。」
と言ってあげたい。
そして、『自分が我慢すればいい』と思う自分には…。
「我慢しなくていいんだよ。今は頑張ってきた分、我慢しないで休もう。」
「十分休んだら、自分の心の声を聞こう。そして、やりたい事をやっていこう」
と言ってあげたい。
なにより
「ジタバタしたって仕方ないよ。ここまで来たら腹を括ろう」
と言ってあげたい。
まぁ、自分自身に対してだから言えることばかりですけどねw
でも、そんなアドバイスも『壊れてしまった自分を守るために、強固なシェルターに入ってしまっていた』あの頃のわたしには、届かなかったと思います。
このあと、随分経って、今のカウンセラーさんと出合い、強固なシェルターは少しずつ解体されました。
長い時間かかりましたが、今のわたしに辿り着くためには、あの頃の苦しかった日々は、必要な時間だったのだと思います。