鬱病9年目…。
年末にロードバイクを購入し、少しずつ遠くへサイクリングへ行くようになりました。
晴れの日も、雨の日も、強風の日も…雪が降ってきた時もあったかな。
とにかく、ロードバイクに乗って一人で出かけることが楽しかったです。
サイクリング中にも、時々仕事の愚痴を、ブツブツとひとりでしゃべっていることが多かったと思います。
でも、それがストレス発散になっていたようでした。
体調も徐々に良くなっていたように感じていましたが、どこか鬱鬱とした気持が常にまとわりついていて、ロープの上を歩いているような感覚でした。
春が近づいてきた頃の事です。
午前中の入浴介助を終えて、Tシャツも短パンもびしょぬれ状態で「早く着替えて、お昼食べよう」と思っていたら、介護係長から声を掛けられました。
「すぐに終わると思うから、着替えずにそのままでいいから、会議室へ来て。」と。
その時配属されていた、デイサービスから入所への異動の希望を、係長に相談していたので、「その件かな?」と思いながら会議室へ向かいました。
すると会議室には、昨年主任を降りた方と、看護部長、そして介護係長が待っていました。
看護部長から「二人に副主任をやってもらいたい。主任を助けてあげてほしい」
と話がありました。
わたしは、病気の状態や、現在また薬を飲んでいる事。そして…今の自分の状況で引き受けると、また鬱が酷くなって仕事を休んだり、辞めたりすることになりかねないので、それだけは避けたいからと、お断りしました。
元主任の方も、断っていました。
断ると、看護部長はテープを巻き戻したように、最初から同じ話をします。
そして、こちらも断る…。
そんなやり取りが何度も何度も続きました。
結局、すぐ終わるはずの話は、1時間半位、同じ問答で続きました。
「断ってクビになったら…そんなはずないと思うけど…」
なんて思いも頭の中をグルグルとし始め、仕方なく、引き受けることになりました。
「何かあれば、すぐ助けるから…」という言葉を信じて。
蓋を開けると、まだ事例も下りないうちから、「あれも、これも」と主任から仕事が次々と回ってきました。
何か問題が起こっても「あとは、お願いします」みたいな調子の主任に振り回され、また、調子のいい職員にも振り回され…どんどん疲弊していきました。
「何かあれば助ける」と言ってくれた、看護部長や介護係長に「主任がこんな調子なので、助けてください」と言ったこともありましたが、結局はわたしが何とかする羽目になるのでした。
他の職員と同じように、お風呂や排泄などの介護をするのはもちろん、パソコンの数が少なく、他の職員が使っていない時間に自分の仕事をこなすしかない為、朝は早めに出勤し、お昼休憩もパソコン作業をしながら、おにぎりを頬張る…そんな毎日でした。
業務後に残業したいところでしたが、パソコンに空きがなくて仕事が進まない事も多かったので、自分の休憩などを削るしかありませんでした。
他の職員も、何かあるとわたしに相談に来るようになりました。
「主任に言っても、何も変わらないから」って…。
明らかに、わたしの仕事ばかり増えていたので、介護係長と、主任・副主任の4人で話し合う機会を作って頂き、「仕事の分担」を提案しましたが、「みんなが混乱する」との理由で却下されました…。
無理をして仕事をしていると、夏にはとうとう限界を迎えました。
自分でも「もう限界だな…」と感じ始めたころにはもう遅いのですが…漸く自覚しました。
まずは主任にも「もう限界なので副主任を下してほしい」と伝えました。
主任からの返答もないまま、仕事をしていましたが、様子のオカシイ…わたしの状態に看護部長が気付いてくれました。
そこで「主任にも伝えましたが、もう限界です。夜も眠れません…副主任を辞めさせてください」と伝え、その日のうちに了承してくれました。
副主任を降りたからと言って、鬱の状態が良くなるわけもなく…
その後、たしか1週間休みました。
復帰しても、あまり変わらず…
そんな時に、ある件の主任の対応について、「どうにかならないか?」と数名の同僚から相談がありました。
その日は、台風でデイサービスは一日バタバタしていました。
主任、副主任は休み…。
その為、わたしが指示を出すしかなく…。
また、追い打ちをかけるようにそんな、わたしの車のタイヤがパンク…。
そんなタダでさえ疲労もストレスもマックスな日に、相談を持ち掛けられました。
それは、「長年勤めた同僚が異動になることが分かり、みんな大変お世話になったので、感謝の意味で何かプレゼントをしたいのだけど、主任が許可してくれない…どうしにかならないか?」と言うものでした。
わたしも、異動になる職員には大変お世話になり、感謝していたので、フラフラでしたが、副主任に相談メールを送るなどしていたら…自宅で体に力が入らなくなり、動けなくなりました。
その症状にピンときました。
「あ…これ、初期の頃になっていた症状と一緒だ」
「…という事は」
「…もうダメだ」
受診して症状を伝えると、ついにドクターストップが掛かりました。
何となく、自分の感覚では、
「仕事を辞めるほどでもないし、軽傷かな…」
と思っていましたが、先生からは「3ヶ月休みなさい」と…
「いやいや…そんなに休んだら生活できないよ」と言う思いと、
「早く戻らないと、また仕事辞める所まで行ってしまう…」と言う思いが交錯しましあ。
そこで、先生に「とりあえず、1ヶ月休んで様子を見させてください。」とお願いし、
1ヶ月間休職しました。
ところが…。
1ヶ月ではどうにもならず…(←当たり前ですよね…。)
もう1ヶ月休むことに。
少しずつですが、落ち着きを取り戻したように感じていました。
主治医からは「職場に復帰するなら、しばらくは介護ではなく、何か軽作業をさせてもらったほうがいい」と言われましたが、「どうしたものか…そんな事できるのかな?」と悩んでいました。
そんな時、仲の良い相談員さんが、連絡をくれて「もし大丈夫そうなら、お茶でもしませんか?」と誘ってくれました。
「休職中なのに、出歩いていいのかな…?」とも思ったのですが、
日程を合わせてお茶することにしました。
そこで、主治医からの話を伝えると、「何とかならないか聞いてみるよ」と言って、職場に掛け合ってくれました。
おかげで、しばらくの間は、事務所内で、デイサービスのパソコン業務をさせてもらうことが決まり、11月から復帰する事となりました。
10月末に職場へ「来月から宜しくお願いします」と電話をしました。
そこで、主任が電話に出て一言「ひとりで仕事を抱え込まないように…」と。
「???」
そのあとの主任の話は、頭に入ってきませんでした。
「何言ってんの?自分で全部こっちに仕事まわしてたくせに!!」と思ったら、怒りがこみあげてきて治まらなくなり、電話を切った後は、折角落ち着いていたのに、心の中が嵐のようになり、怒りとモヤモヤで一杯になりました。
「あぁ…まだダメじゃん…」
「こんな状態で仕事いけるのか?」
とも思いましたが、せっかく相談員さんが働きかけてくれて、職場も受け入れ態勢を整えてくれたのに、申し訳なくて…。
予定通り11月から出勤しました。
デイサービスと離れたところで、パソコン仕事をさせてもらえて、非常に助かった反面、わたしの心の中では、また新たな葛藤が始まりました。
それは…
「いつまでも事務所でパソコン仕事させてもらっているのは申し訳ない」
「でも…もうデイサービスに自分の居場所はない」
「入所に異動させてもらっても、やっていける自信が無い」
「どうなっちゃうんだろう…。」
そんな思いが一日中頭を支配していました。
イライラ、モヤモヤも相変わらずで…ちょっとしたことでイライラしたり、落ち込んだりと、自分でもどうにもならなくなっていました。
すると徐々に「ここには自分の居場所がない」と思うようになっていきました。
そして…看護部長に「出来たら、系列の施設に異動させて欲しい」と相談するのでした。