今日も迷走中!!~鬱と向き合うオジさんの記録~

毎日迷走中のおっさんのブログです。主に鬱病の体験記です。その他、仕事の事、趣味の事などいろいろと書いていきます。

鬱病5年目…念願の社会復帰(1回目)

鬱病5年目は、漸く社会復帰できました。

細かい事を言うと4年目の3分の2辺りからの社会復帰です。

 

もう一度介護の世界で仕事がしたいと思っていたので、施設の理念なんかをみて、ある施設の面接を受けて働くことになりました。

  

介護の世界に戻れる喜びと、「介護から離れている間に、介護が変わってしまったんじゃないか…ひょっとしたらついていけないんじゃないか」という不安でいっぱいでした。

 

 

配属は病み上がりで夜勤に不安があったのでデイサービスを希望しました。

初出勤は1月2日からだったと思います。

 

蓋を開けてみると、施設理念なんてあってないようなものでした。

「言ってる事ちがうじゃん」と感じていました。

 

そして、経験者という事もあってか、当たりが厳しかったと記憶しています。

 

教えてもらったとおりにやってるのに、「違う」と怒鳴られたり…。

(どこへ行っても、必ずあります…。)

主任が何でも喋ってしまうから、個人情報がダダ漏れだったり…。

入職して直ぐに、「経験者だからってでしゃばるなよ」と副施設長に言われたり…まだ何もしてないうちから「???」と言う感じでした。

  



 

唯一、デイサービスの送迎車のドライバーさんがいい人でだったのがよかったかな…。

色々と相談に乗ってくれたり、一緒に飲みに行ったり…いまだにお世話になってます。

 

何だか働きずらさを感じつつも、何とか休まずにやっていました。

 

そんな中、ある委員会に出るように言われました。

主任から「デイは問題ありません」と答えればいいと言われたので、会議でそう言うと、何回目かの会議中、副施設長から「あの件はどうなってるんだ!!」と怒鳴られました。

入職して間もないため、何のことかわからずにいると、「主任に聞いてみろ!!」とまた怒鳴られました。

 

会議の後、主任に尋ねると「バレたかw」と。

本来なら作成しなくてはならない書類が、殆どできておらず、監査でも指摘されていた様子。

膨大な量の為、「他の職員にも手伝ってもらいましょう」と主任に提案しましたが、「教えるのが大変だから…」と。

結局、わたしと、主任、相談員2名の計4名でやることに。

期日は年内中となりました。

(たしか残り期間は6~7ヶ月位だったと記憶しています。)

 

わたしは、会議のたびに進捗状況を報告しなければならず、少しずつ自分の持ち分をマメに進めていました。

2~3か月後、相談員が1名辞めてしまうと、主任と残った相談員が「わたしたち、もうあれやらないから。副施設長に言っといて」と。

 

「は?冗談でしょ!」

「そもそも、わたしが入職する前のやり残した仕事なのに、なんで???」

と思っていると…

結果、

主任たちは一つも手を付けず、最後まで、本当にやりませんでした。

こんな事が許されちゃう職場だったんです。

 

結局、会議で毎度プレッシャーを掛けられているから、副施設長にも言えず、わたしが全ての書類を期日までに終わらせることになりました。

  

毎日深夜まで残業して終わらせたのですが、残業申請は決められた時間分しか申請できないと、残業書類の書き直しもさせられました。

 

この他にも、入職時から『デイだより』の作成も任されていました。

理由はパソコンができるから…。

毎月『デイだより』の発行日を逆算して、毎回、副施設長のキツイ ダメ出しからの直し期間まで逆算して作成していました。

掲載する写真の撮影を、他の職員にお願いしても協力してもらえない事が多く、本当に苦労しました。

 

また、あれだけの書類をわたしに押し付けているにもかかわらず、主任はわたしをクリスマス会の担当に選びました。

担当は他に2名くらいいましたが、わたしは書類の件もあるため、前年とは内容を変更したい旨を主任に伝えました。でも、「クオリティを下げたくない」と却下され、担当を外してももらえず、クリスマス会の準備にも振り回されていました。

我ながら、本当によくやったと思うけど…これじゃ身体壊しますよ。

 

 

思い返してみると、

もしも、主任が「やらない」と言った時に、副施設長に言いに行ったらどうなっていたのでしょうか?

「それなら、自分もやれない」と言えたらどうなっていたのでしょうか?

 

きっと、もっと働きにくくなっていたのではないかと思います。

 

色々な意味で追い詰められていたので、誰にも相談できず…自分がやる以外に打開策が思いつきませんでした。

 

 

不思議な事に、この施設への就職活動を始めたころから、仕事を辞めるまでの期間は、薬を飲まずに何とかやれていました。

お世話になった送迎のドライバーさんが、時々飲みに誘ってくれたり、愚痴を聞いてくれたおかげかも知れません。

忙しさに麻痺していたところもあったかもしれません。

 

 

書類作成は締め切りギリギリに何とか終わらせましたが、その後も、書類関連する仕事を含め、わたしがお願いする仕事はあまり手伝ってもらえず…。

漸くなんとか1月の終わりから纏まった休みをもらいました。

そこで、少しほっとしたのか、鬱症状がでてきました。

 

結果、無理して仕事をしたおかげで、結局また鬱が酷くなり、翌年の1年3ヶ月ほどで退職することになりました。

 

施設長から「纏まった休みを取ってもいいし、体調がよくなるまでパートにして、出勤日を減らしたら…」とも言われましたが、これ以上は無理でした。

 

辞める決心が固まっていたこともあり、その場で、それまでの事を施設長に主任が居る前で伝えました。これが、わたしのささやかな抵抗でした。

イタチの最後っ屁ってやつですかねw

  

 

身体を壊してからだけど、この施設を辞めたのは正解だったと思っています。

 

 

そして結局また、無職になり、自宅療養の日々が1年半続くことになるのでした。