前回もちょっと触れましたが、子供の頃から周りの人の言葉で、いろいろなことを諦めては、自分の心に蓋をしてきました。まぁ主に父親から言われていた訳です。
子どもの頃は、絵を描くことが好きでした。学校のコンクールとかで賞状を貰ったりしたこともありましたが、父親は「そんなことしても、しょうがない」といって誉めてもらった事はありません。テストでいい点を取っても、誉められることはなく、同学年のいとこと比較され嫌味を言われる毎日でした。
何をしても私のやることは、父から言わせれば「どうでもいい事」「やっても意味の無い事」らしく、自分は認めてもらえないと感じていました。
酔っぱらって機嫌が悪いと「出ていけ」とか言われるし、自分が生きている意味ってあるのかな…とよく思っていました。そんなこんなで、子供の頃から、父親の顔色ばかりを気にしていました。
鬱になってから、「自分を変えなくてはいけない」と言われる事がありました。わたしは「自分を変える」という事にかなり抵抗がありました。なぜなら、「自分は今まで散々人に言われて変えられてきたのに、また変わらなきゃならないのか?変わるのは周りの番だろう!」と言う思いが強かった為です。
でも「周りの人は変えられないから、自分が変わるしかない」と言われます。
「いやいや。散々、強引に変えられてきましたよ!都合のいいように。だったら、今度はそっちが変わってよ!」これがわたしの言い分でした。「わたしばっかり…」って。
それと、わたしの感覚では、『自分を変える』ってことは「180度変わらなきゃならない」、もしくは「まったく別人に変わらなきゃならない」様に感じていました。そうなると、それまでの自分も全否定されてしまうような感じがして、かなり抵抗がありました。(今思えば、極端な考えです。)
随分と長い時間かかりましたが、ある日、犬の散歩中に周りの景色を見ていて思いました。「ちょっと角度を変えただけで見え方が違うな」って。
「だったら自分を変えるってことも、極端に帰るのではなくてちょっと変えるだけでも違うかも」ってひらめきました。
それまでは、雁字搦めで真っすぐ前しか見ていなかった。でも上下も、左右も見てみたら違う景色なわけだし、体をちょっと動かせばさらに違う景色なんだから、「180度じゃなくってまずは1度でも変わってみようかな。そしたら何か見えるかも」って思えたら気持ちが楽になりました。
今もまだまだつまづきますが、その度に「ちょっと違う景色を見てみる」つもりでやっています。そうすれば、過去の自分を全否定するって感覚もなくなりました。
あと大事なのは「だまされたと思ってやってみる」精神ですw
「これを信じて頑張ろう」って思うとハードル高いし、途中で息切れしちゃうので、やってみてダメだったら「騙されちゃったw」と思えばいいし、上手くいったらラッキー位な感じで取り組んでます。
実際に思い切ってカウンセリングを現在お世話になっているところに変えた時も、初めはそんな意識で飛び込みました。でもおかげで、以前よりもかなり楽な状態で過ごせているので感謝しています。