鬱病3年目の春から自分のケアプランを作って記録を付けるようになりました。
詳しくはこちらをご覧ください↓↓↓
その頃の自分を振り返ってみようと思います。
この頃のわたしは8割方、実家で生活していました。
週末自宅へ帰って、日曜日の夜、妻が実家まで送ってくれる…そんな生活でした。
今思えば、この頃も鬱で頭が働いていなかったと思います。
常に頭の中にモヤがかかっているような感じだから、何となく頭が働かない。
すばらしいアイディアが浮かんだと思っても、どこか抜けていたり、忘れてしまったり…。
その癖、イライラモヤモヤには敏感に反応する感じです。
その為、大切な事や注意事項を忘れないように、色々と調べてEvernoteを使って、パソコンとスマホでケアプランなどを見れるようにしていました。
当時はまだスマホも出始めだったので、今ほど使い勝手がよくなかったかなと思います。
頭が働かないから尚更ですね…。
スマホで確認できることで、少しだけ自分にブレーキをかける事を意識できるようにはなってきていたと思います。
記録を見返してみると、当時のわたしは、かなり迷走していることが分かります。
まず、思っていた以上に眠れていない日が多いです。
夜中の3時位に漸く眠れて、翌日はお昼過ぎに起きていることが多かったみたいです。
それでも、何かしなきゃいけないと思っていたのか、散歩したり、スーパーや100均に買い物へ行ったりしています。
それと、自宅や実家のものを修理したり、片付けたり、父のパソコンが調子悪いと言われれば、何とかしようとしてみたり…。
何だか次から次へと用事を見つけては、自分が何とかしようとしていたようです。
眠れない、動けない日が殆どなのに、じっとしていられない言うか…自分にも家族にも「こんな取り組みをしたおかげで、良くなってるよ」とアピールしているような気がします。
これは、鬱病1年目からずっと変わらないですね。
「早く働かなきゃ」って、ずっと焦っていました。
ずっとこの『早く働かなきゃ沼』から抜け出せなかったんですね。
今、客観的に記録を見てみると、完全に『やり過ぎ』ですね。
自分にブレーキをかける意識は出てきたものの、、明らかに無理しています。
だから、自分で記録しているエネルギー値は『かなり甘め』かなと感じてしまいます。
(エネルギー値についても先ほど紹介した過去のブログをご覧ください。)
この頃も、診察やカウンセリングで言われることは毎回同じでした。
「体を休めなさい。」
「無理してはいけない」
「症状が出てきたら、深呼吸するなどして…」
などなど。
何年も同じ事を言われているから、
「行く意味あるのかな」
「もっと別は方法はないのかな?」
なんて思っていました。
でも、眠れていない日が多いのだから、言われて当然なんですけどね。
また、カウンセリングで自分の記録を持参して、見てもらったこともありました。
でも、「ここまでされる方は初めてです」とは言われたものの、じゃあ「ここから何を導き出して、どうしていったらいいのか」と言ったアドバイスを貰えるわけでもありません。
自分で始めた事だけど、毎日記録を書く事は出来ても、それ以上ができません。
ただただ、『今の自分を試して、記録を付けている』そんな感じだったのかなと思います。
そんな状況でしたが、わたしは全て順調に行っていると感じていたと思います。
記録を付けている事で、少なからず充実感があったからかもしれません。
その為、この年の秋からは、父の仕事の手伝いをするようになりました。
初めは父と一緒に行くだけで精一杯でした。
そして、苦手な父と一緒にいる事も不安でした。
でも、すぐに、「自分も何かしなきゃ」と言う気持ちが大きくなっていったようです。
ここでまた無理しているんです。
父の仕事がスムーズにいくように準備をしたり、作業を教えてもらいながら、手伝っていました。
記録を見ると、初めは週2日でも、かなり厳しかったようです。
それでも、作業を覚えていって、途中からアルバイトで使ってもらうようになりました。
そして、翌年も週3日で父の仕事を手伝わせてもらいました。
当時、少しだけど、働けるようになった喜びはありました。
でも、1日働くとダメージが大きいんです。
「徐々に慣らしていこう…」と言い聞かせても、「こんな状態じゃダメだな」「この先どうなっちゃうんだろう」と自分を責める言葉が襲ってきました。
また、『元の介護の仕事に戻りたい』気持ちと、『介護の仕事に戻る不安』とが常に頭の中で喧嘩していました。
父の仕事を手伝うようになってからは、希望よりも、自分を責めることばかりが渦巻いていたように思います。
イライラ、モヤモヤが治まらない…
ちょっとしたことで直ぐに爆発してしまう
そんな不安定な状態でした。
上手くいかなかった理由のひとつに、掲げた『長期目標』があると思います。。
ケアプランには『長期目標』と『短期目標』があります。
『長期目標』は半年とか1年後の目標となります。
わたしは長期目標に『第三の自分になる』と掲げていました。
これは、どこから出てきた言葉なのか…。
本に書いてあったのか、ネットで見かけたのか…忘れてしまいました。
当時の記憶をたどると…
鬱病になる前の自分が『第一の自分』
鬱病になってしまった自分が『第二の自分』
そして、鬱病を乗り越えて変わった自分を『第三の自分』としていたような気がします。
これの『第三の自分』と言うのが非常に曖昧で、何がどうなれば『目標達成』なのかが、自分でも理解できていませんでした。
鬱病になって以来、「『鬱になる前の自分』に戻りたい」と思うけど、カウンセリングなどで「もう、今までの様にはできない」と言われることが多かったと記憶しています。
(もしかしたら、そう受け取ってしまっただけなのかもしれませんが…)
「じゃあどうすればいいの…?」
いくら考えても全く分かりませんでした。
そんなわたしには、『第三の自分』と言う言葉は、やっと見つけた『希望の星』だったのです。
だから、わたしはケアプランと自分を記録をする事に信念をもって取り組んでいました。
でも、振り返ってみると『何となくこっちの方に目指すものがありそうだと、地図も磁石も持たずに砂漠を歩いていたようなものだった』のかなと思います。
この頃に「もっと鬱病と自分に向き合っていこう」と割り切れていたら…なんて思います。
もしかすると、もっと違った視点で取り組めたのかもしれません。
でも、当時はそんな考え全くなかったし、助言してくれる人も居なかったかな…否、言ってくれても理解できなかったでしょうね。
あれから10年近く経って『第三の自分』が少しずつ理解できて来たような気がしています。
これは、数年前からお世話になっているカウンセラーさんと出合えた事が大きいです。
カウンセラーさんには、本当に感謝感謝です!
『第三の自分』
それはきっと、鬱病になる前の自分が、自分に嘘をついて仕舞い込んだ『本心』に気付いた自分。
そして『本心』を無視して作っていった、自分を苦しめるルールを見つけて修正した自分なのかなと思います。
ここまでたどり着くために、鬱病3年目のわたしが有ったと思うと、決して無駄ではなかったのかなと思います。