今回は、鬱病3年目の頃のお話です。
鬱病1年目、2年目はこちらをご覧ください↓↓↓
鬱病2年目のお正月。
自分では「もう大丈夫」と思っていましたが、実際は思っている以上に「大丈夫」ではなかったので、またまた実家での生活も2年目に突入しました。
1年目同様、平日は眠り続け、週末は自宅へ帰る日々を繰り返していました。
しばらくして、実家で頼まれた買い物にも行けるようになりました。
この頃も、人に会うと目が回っていました。
そんな時に、
「これじゃ、また同じ事繰り返しちゃうんじゃないか…」と考えるようになりました。
そこで、意を決して大型書店へ行ってみることに!
「何かヒントがあるのでは?」と思って、鬱に関する本を読んでみようと思いました。
この時、ほんの少しだけ、病気と向き合おうと思うようになったのかも知れません。
前にもお話ししましたが、この頃も、本屋さんで本棚に囲まれると目が回ってしまうんです。
人とすれ違ったときと一緒です。
その為、大型書店へ行くのは、大変な覚悟が必要でした。
幾つかの本に絞って、少し立ち読みしてみますが、目が回ってしまって立っていられず、片膝ついて座り込んで読んでいました。(本屋さんスミマセン)
「こんなの迷惑だよな…」
なんて思いつつ、1冊に絞って買って帰りました。
その時の本はどこへ片付けてしまったのか分かりません。
そして内容も…どんなだったのか覚えていません。
そもそも、頭が働かない状態で取り組んでいる為、実際にどこまで理解していたのかも分かりません。
そんな状態のわたしが、本を読んで感じたのは、『自分の状態の変化が全く分かっていない』という事でした。
どんな時に調子を崩すのか?
逆に、調子の良いときは?
そして、
起きられないときは、どんな時なのか?
動ける日は何が違うのか?
色々な症状に振り回されているだけだったので、そんな事は全く意識してきませんでした。
本を読んでみて自分なりに解釈したことは、自分のエネルギーを超えてしまえば動けなくなるという事です。(実際にこんなこと書いてあったのか忘れてしまいました)
例えば、ドラクエで、体力を表す『HP』があります。
HPが『0』になればゲームの主人公は死んでしまいます。
わたしの場合も、自分の『HP』が『0』に近づくほど動けなくなってしまうのかなと解釈した訳です。
そして、自分の『HP』が一定値を下回ると鬱の状態も酷くなっていくように思いました。
わたしの『HP』が減っていく要因は『体力的な疲れ』だけでなく、『精神的なダメージ』のも大いに関係していると考えて、『体力的』と『精神的』のダメージの合計が一定値を超えないように生活する方がよいのかなと。
また、ゲームでは宿屋に泊まれば、『HP』は全回復しますが、現実は朝起きても疲れが残っていることもあり、その場合は全回復しているとは言えないのかなと思います。
その為、朝起きた時の『HP』の回復具合を基に、一日の中でどれくらいのダメージ分なら活動していいかラインを決めたら、安定して生活できるのではないかと考えました。
そこで、毎日簡単に記録を残すことにしました。
①睡眠時間
…昼夜の睡眠時間の合計。
②朝起きて、自分のエネルギーがどれくらい回復していたか。
…スッキリと起きられたら『10』、起きられなかったら『0』として、自分の感覚でエネルギーの回復具合を記入。
③1日の中で、身体的なエネルギーをどれくらい使ったか。
…体力的に限界なくらい動いた日は『10』、全く何もしない日は『0』として、その日自分がそれ位体力を使ったかを、数字で記入。
④1日の中で、精神的なストレスをどれくらい受けたか。
…精神的なストレスを、鬱状態が落ちるくらい受けた時は『10』、全く精神的ストレスがない日は『0』
⑤身体的エネルギーの使用量と精神的ストレスの合計。
…朝起きた時の回復量を、③、④の合計が超えない事を意識するため。
⑥一日終わった時点での残りエネルギー
…朝起きて回復していたエネルギーから、『体力+精神的ダメージの合計』を引いてでた、残りのエネルギーを記録。
⑦鬱の波
…鬱の状態が可もなく不可もない状態を『50』として、落ちているときが『0』絶好調で過ごせたら『100』として記入。
⑧簡単な日記
…どんな事が原因で鬱の状態が落ちるのかを知る為に、その日の出来事や感じた事などを記入。
こんな感じで毎日ノートに書いていきました。
そして記録が溜まるとエクセルに入力していました。
これまでが、自分の思いと感覚のみだったので、自分の状態を無視して、無理をしていたのだと思います。
こうして記録を残すと、無理をしないように、『少しだけ』気を付けるようになりました。
そう『少しだけ』なんです。
なにしろ、それまで無理するのが当たり前でしたから…。
例えば買い物など頼まれると、ついつい無理している自分に気づきます。
「あれも無かったから、ついでに買っていこう」みたいに…
『ついで』といって『あれも、これも…』と無理をしてしまうんです。
やっぱり、『迷惑をかけているから役に立ちたい』気持ちと、『大丈夫な自分』のアピールなのかな…と思います。
「じゃあ、具体的にどんな事に注意して行ったらいいのかな?」
という事で…
介護士のわたしは、自分のケアプランを作成する事にしました。
ケアプランとは…
介護施設などで、利用者さんの目標に対して、どのような支援をしていくかが分かる計画書です。
(簡単に言うとこんな感じですw)
自分のケアプランを作ることで、今の自分が目標に向かって、どんな事に取り組んで、どんな事に注意すればいいのかを明確にしました。
具体的には…
短期的な目標は…
A.ストレスコントロールができる
B.失った地震の補強
その取り組みは…
目標Aは…
①記録を付ける
②一日の中で状態を見極め、無理はしない
③十分な休養をとる
④無理な時は断る。またはお願いする。
…etc
目標Bは…
①大まかなスケジュールを立てて生活する
②無理はしない
…etc
と言った具合です。
そして、これをスマホでいつでも確認できるようにしました。
そうすることで…
出先でちょっと疲れたら、スマホを見て「無理しようとしているな」と気づいたら休憩するなど、自分にブレーキをかけるようにしていました。
自分に「無理するな」と意識させるには、かなり効果があったと思います。
自分の記録とケアプランは、鬱病3年目、4年目と続けました。
結果として、主治医から念願のGOサインをもらって、社会復帰できました。
ところが、社会復帰に安心して記録を辞めてしまいました。
記録を辞めてしまうと、また昔の癖がでてきます。
仕事に全力投球してしまうんです。
せっかく少しずつ身についた、自分の体調を観察する癖もなくなってしまいました。
今になってあの頃の事を思い出すと、少しは病気と向き合おうと意識しだしたものの、記録を残すのに精一杯だったのかなと思います。
全く周りが見えていなかったし、自分で自分を縛り付けるものも多かったので、まだまだ病気とも自分とも向き合えていなかったのだと思います。
残っている当時の記録を見返してみると、そこには当時の心の葛藤が書いてあります。
でも、その記録を見て、活かすすべが分かりませんでした。
カウンセリングにも持参して見てもらった事もありますが、「ここまでする人は初めてです」と言われた印象しかなくて…。
でも、急にこんなもの持ってこられても困りますよね…。
誰かからアドバイスを貰えるわけでもなかったし、周りが見えない状態のあの頃のわたしには、アドバイスをもらっても、素直に受けられなかったと思います。
その為、ただ記録するだけで終わってしまいました。
それともう一つ重要な事。
それは、わたしが目標としていたことが、自分自身ピンときていなかった点です。
これは本に書いてあった『第3の自分になる』という事でした。
これをケアプランの長期目標にしていました。
『第3の自分』と言うのは…
鬱病になる前の自分を『第1の自分』
鬱病になってしまった自分を『第2の自分』
鬱病を乗り越えた自分を『第3の自分』
…という意味だったと思います。
だから、長期目標に『第3の自分になる』と掲げたものの
…当時のわたしは理解できていなかったのかな…と思います。
もっと、『第3の自分』と言う意味を考えることができたなら…
色々と思い返してみると、折角あれだけやっていたのに勿体ないなと思ってしまいます。
もう一度本を読み返してみればよかったのに…。
もっと別の本を読んでみても良かったかも…。
もっと深く考える余裕があったら…。
もっと工夫してみることができたら…。
何て色々と思ってしまいます。
でも、あの頃のわたしの状態を考えると、「よくやった」と思います。
この期間も色々あったしね…。
この時のがんばりが、今に繋がっているのだと思います。