病気してから12年以上経ちました。
振り返ってみると、病気との戦いは、どこまでも続く、真っ暗で足元しか見えないような螺旋階段をずっと上り続けているように感じます。
これまで、「あ、良くなったかも」って思うことは何度かありました。
最初に感じたのは、抑うつ性神経症と診断されてから、半年くらいたった時だったと思います。
それまでは、『真っ黒な雲に覆われているようだった』わたしに、一筋の光が差したように感じました。
「
「やった!治ったんだ!」
そう思って少しずつ
ところが、徐々に体を慣らしているつもりが、ある日また急に起き上がれなくなりました。
まぁ今考えれば、「自分はもう大丈夫」と言うのを家族に見せたくて無理をしてしまったので、動けなくなるのも当然だったのかもしれません。
ただ、動けないくらいのダメージを負っている状態では、ちょっとしたことでもショックが大きくなるので、やっとの思いで光の当たるところまで登ってきた螺旋階段を突き落とされたような感覚になります。
どこまで転げ落ちたかわからないから、見えていた光はどこ変え行ってしまいます。
その為、また酷く落ち込むのです。
今思えば、あの時「治った」と感じた光は、『真っ黒な雲に覆われているようだった』わたしの心に差した『一筋の光』でした。という事は、まだ周りには『真っ黒な雲』がたくさん残っている訳で…「まだ油断できないよ」って感じだったのかもしれません。
その後も「心が軽くなった。もう大丈夫かも!」と思うことは何度もありました。
でも、やっぱり、同じように「自分は大丈夫」と自分にも、家族にも見せようとしては、螺旋階段を転げ落ちました。
今思えば、最初の『一筋の光』の時よりも、『真っ黒な雲』は少なくなって行っているものの、どこか不安を抱えていたように思います。つまり、まだ『真っ黒な雲』は残っていたのです。
何度も何度も、螺旋階段を転げ落ちてきました。
でも、同じ失敗を繰り返しつつも、少しずつ階段は上ってきたのだと思います。
今もまた、ようやく上ってきた先は光が差しているように感じます。
ただ、今までと違うのは(違うと信じたい)、心が落ち着いている事。それと最近自然と口元が緩んでいることに気づきました。
今も不安なことは、やっぱりあります。でも、「生きているんだから、それは仕方ない」って自然と思えるようになりました。
わたしは12年かかりましたが、漸く自分との付き合い方が分かってきたように感じます。
「病気との付き合い方じゃないの?」と思われるかもしれませんが、色々な症状は、自分自身が出していた警報なのかなと思います。
今までは、「病気の症状をどうやって鎮めるか」ばかり考えていたと思います。
根本の問題には蓋をして(我慢させて)、警報を止めることばかり考えていたのだと思います。
「話聞いてよ!」「こんなことやりたいんだよ」「これ以上はしんどいよ」と言うような自分の心の声を無視し続けてきた事の、結果なのかなと。
今まではそんな風に思ったことはなかったです。
この2ヶ月近く、自分と向き合う作業をとことんやって来たからこそ、こんな風に見えてきたのかなと思います。
「さぁ、まだまだ人生これからだ!」と言い聞かせつつ、遠回りした分、楽しんでいけたらいいなと思います。