今日も迷走中!!~鬱と向き合うオジさんの記録~

毎日迷走中のおっさんのブログです。主に鬱病の体験記です。その他、仕事の事、趣味の事などいろいろと書いていきます。

自宅に居られなくなり、実家へ戻ることになった時の事

はじめて『鬱になった』職場は、2ヶ月位で職場との話し合いで退職しました。

理由は…

就職たばかりの為、休職期間を長く頂けない事。

そして、わたしの鬱状態が、良くなる兆しが全くなかった事。

これらが原因でした。

上司との話し合いの席では、ただただ申し訳なくて涙が止まりませんでした。

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退職後…

それまでの『仕事へ対しての不安』は、今度は『無職』となったことへの『焦りと不安』に代わりました。

『無職』となったことで、今まで以上に『世間の目』『将来への不安』がわたしを襲い、怖くて仕方なかったのを覚えています。

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そんな中、『雲の切れ間から光が差してきた』様に感じました。

詳しくはこちらをご覧ください↓↓↓

ossanmeisocyu.hatenablog.com

 

すると、不思議と『治ってきた』と思うようになり、少しずつ自分を試しながら、『大丈夫な自分』を確認していました。

そして『大丈夫な自分』を、妻と同居している妻の両親、そして自分へアピールをするようになりました。

(差してきた光の周りにはまだ暗雲が立ち込めている事には気づかずに…。)

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でも…

周りから見れば大したことはなく、実際には、何もアピールにはなっていませんでした。

 

ただの自己満足です。

 

それでも、大きな課題を自分に課していると思っていました。

そしてこの先には、病気の完治と社会復帰が待っていると本気で思っていました。

 

課題は…妻と愛犬を連れて遠出する事であったり、友人と会う事であったり…。

 

今思うと、かなり感覚がずれているように思います。

でも、当時のわたしは大真面目でした。

 

そんな中で、妻の祖父母宅へ新年の挨拶へ。

わたしと妻、そして妻の両親と共に出かけることになりました。

わたしは、ずっと迷惑をかけてしまったので、「もう大丈夫です。ここまでできるようになりました。」と義父母へ伝えたくなり、長距離の運転を買って出ました。

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これは、わたしにとっては最大の課題であり、最大のアピールポイントでした。

そして何故か…

『これを乗り越えたら自分は完治できて、仕事に復帰できる』

『これは自分への最終課題だ』

と、本気で思っていました。

 

ただ、祖父母宅へ到着すると、力が入らず、ずっと横になっていたと記憶しています。

でも、何故か「みんなを乗せて、長距離運転で来た」ことで大満足でした。

『横になって動けない事』までは気が回っていませんでした。

そして、「運転した」と言うこと以外、記憶がありません。

帰りも自宅まで運転し、自分では大満足でした。

「この課題をクリアしたから、もうすぐ仕事復帰できる!!」と。

 

 

ところが…

翌日は布団から起き上がることができませんでした。

とにかく身体が動かせません。

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頭も働かないので、

「自分が今どんな状態なのか?」

そんな事を考えることもできませんでした。

でも、満足感だけはありました。

 

夕方まで布団で横になっていたら、漸く起きられました。

そうしたら、義父の大きな声が聞こえてきました。

 

妻の姿も見えなかったので行ってみると、妻が怒られていました。

どうやら…

わたしが一日中寝ていて、犬の散歩も出来ない事が原因でした。

「あいつは何をやっているんだ」と。

 

義父はその時、まだわたしの病気の事を理解してくれていませんでした。

よく「犬の世話位できるだろう」と言われていました。

 

その為、

「昨日運転したくらいで、一日中寝ているなんて異常だ!」

「診断書を貰って家にいるけど、働きたくないだけだろう!」

「俺が紹介してもらった病院へも行かずに…」

…などなど。その場で一方的に言われました。

 

実は…。

義父は、わたしの通っている心療内科へ、妻と一緒に話を聞きに来てくれたことがありました。

ところがその時の説明に義父は納得がいかず…。

わたしは、義父の知り合いから教えてもらった病院で診てもらうようにと言われていました。

「セカンドオピニオンとして、他でも話を聞いてみたらどうか?」と言う事でした。

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義父の言っている事は分かります。

 

ところが、当時のわたしは、通っている心療内科以外に出かけることが、大変な恐怖でした。

正直、朝晩の愛犬の散歩はしていましたが、本当にきつかったのです。

 

その為、義父の進める病院へ行くことができませんでした。

その事は妻から伝えてもらっていたと思うのですが、分かってもらえませんでした。

 

 

義父から一方的に言われ、最後に…

「俺が言ったからって具合が悪くなったりするなよ!」何て言われて…。

でも、その場は何とか持ち堪えました。

自分でも、「なんともない。大丈夫。大丈夫。」と安心しましていましたが…

 

翌日、わたしの中で大爆発が起こりました。

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しばらくの間、鳴りを潜めていた『モヤモヤ』、『イライラ』が大爆発して抑えられなくなり、妻や義母にいろいろと言ってしまったように記憶しています。(今は本当に申し訳ないと思っています。)

 

その日を境に、わたしは『どん底』へ落ちてしまいました。

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そして…義父が苦手になり、自宅に居ることも恐怖になりました。

あと、自殺願望も強くなりました。

 

 

主治医からは「入院するなどして環境を変えましょう」と言われました。

でも、『入院』するのは、抵抗がありました。

 

実家の母へ相談すると、「だったら一度、うちに帰ってくれば」と言ってくれました。

正直、実家で父に会うのも抵抗があったのですが、妻とも相談して、しばらく実家へ帰ることになりました。

 

この辺りから、記憶が定かではありません。

 

実家へ帰る前か後か忘れましたが、義父のすすめる病院を受診しました。

 

あの時は、イライラが爆発して、おかしなパワーがありました。

ヤケクソになって、「行けば納得するんでしょ」っていう感じで、変な意地がわたしを動かしていたように思います。

 

最初に別室で、担当の方から現在の症状への質問があったのを覚えています。

しばらくして診察室へ。

その時先生からは『重度の鬱』と言われました。

 

正月にあった事を先生に話すと…。

 

「エネルギーが入っているタンクに穴が開いている状態で、薬で穴をふさいで少しずつエネルギーが溜まってきていた。そこで無理をしてしまったから、また穴が開いて、タンクがスッカラカンになって動けなくなった」と言うようなことを言われた気がします。

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そして…。

「わたしの父も医者だけど、ある程度の年齢の方は、医者でもこの病気の事をなかなか理解できないんですよ。」

「義理の両親と奥さんに、わたしから分かりやすく説明するから、予約してくるように言ってください。」と言ってくれました。

 

そのことを妻に伝えると、後日みんなで病院へ行ってくれたそうです。

その時はわたしは、もう実家にいたような気がします。

先生が分かりやすく説明してくれたおかげで、家族がみんな理解してくれるようになりました。

そんな話を妻から聞いて、何だかホッとしたのを覚えています。

 

ただ、病院を替える事はできませんでした。

 

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随分経って、『義父の言動は自分を心配しての事だった』と気づきました。

今思えば、あんな風に言われても仕方がないと思えます。

あんな風に言う事で、わたしを奮起させようとしたのだと思っています。

でも…

あの頃の自分は、そんな余裕は全くなかったんです。

本当に済みません。

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丁度この頃、介護福祉士の試験がありました。

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申し込んではいたものの、試験どころではありませんでした。

でも、母から「ダメでもいいから、試験だけはうけてきなさい」と説得され、フラフラしながら試験会場へ行きました。

道中、駅で電車を待っているときは、「飛び込で楽になりたい…」そんな事ばかり考えていました。

結果、運よく試験に合格しました…。

あの時の事を考えると、あんな状態でよく試験会場まで行けたなと思います。

そして、母を『鬼か!』と思いましたが、背中を押してもらってよかったと思います。

 

 

実家へ戻ってからは、

とにかく身体中が痛かった

特に腰痛が酷かったのを覚えています。

そして、ご飯とトイレとお風呂以外はずーっと寝ていました。

我ながら、「よくこんなに眠れるな」と思うほど。

そして「よく何もしていないのに、3食も食べられたな」と。

 

随分経ってから思い出すと、

主治医やカウンセラーが言っていた「とにかく寝なさい」と言うのはこういう事だったのかなと思いました。

 

 

ここから、しばらくは実家で過ごしました。

初めは実家にずっといたのかな…。

少ししてから、妻の休みの週末だけ自宅へ帰るようになったような気がします。

東日本大震災があったのもこの頃でした。

丁度、自宅へ帰る日でした。

 

 

本当にこの頃の記憶があまりないのです。

その為、この頃の事を妻から聞くと、申し訳なくなります。

 

 

そして…

この後、まだまだ、暗黒時代が続くのでした…。