鬱病10年目の記事を書いてから随分と間が空きました。
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その間、自分自身が何度目かの鬱と何度目かの休職、退職などもあり、ちょっと振り返るのが辛かったんです。
最近は…鬱だったことがすっかり頭の中から消えてしまった為か、ブログに書きたい事が浮かばなくなってきたので、振り返ってみる事にしました。
11年目は、丁度コロナが流行り出した年でした。
外出が制限される直前だったと記憶しています。義父が自宅で倒れました。
救急で入院したのですが、コロナの為面会ができず…義父の状態を知る事が容易ではなくなり、落ち着かない毎日でした。
コロナで不要不急な外出が制限される中、義父が仕事を続けることが難しくなったため、義父のお店を閉めたり、転院先の病院を探したり…そんな毎日でした。
わたし自身は、カウンセリングを続ける中、『手探り』ながらも少しずつ良い方向へ向かっているように感じていました。
でも今考えると、当時のわたしは…まだまだモヤモヤした不安に付きまとわれていて…頭が働いているような、働いていないような…そんな状態だったように思います。
『手探り』と感じていたのは、カウンセリングで行っている事への理解ができなかったからです。
このブログで度々出てくる『自分と向き合う為のノート』もこの頃はまだその重要性に気付けず…。
カウンセリングで先生から度々宿題がでました。
わたしの心の中に閉じ込めてきた感情(出来事)が見つかると、「この時の感情を次回までに書いてきてください」と宿題が出ます。
最初の内はどうしても、その出来事の説明文になってしまって、感情が書き出せませんでした。
「もっと感情を出して!」と言われても、どうしていいのか分からなかったんです。
それでも、何度も繰り返していると、スッキリする感じ…。
でも、自分では「これで良かったのかな…?」と言う感じだったので、『手探り』がピッタリなんです。
義父の転院先では、コロナ禍でも「洗濯物は自宅で」となっていたため、定期的に病院へ洗濯物を届け、受け取りに行っていました。
自宅療養中ではありましたが、こうして自分の役割があった事で助けられていたような気がしています。
夏が過ぎ、秋になり…「そろそろ社会復帰できそうかな」と言う状態になってきました。
主治医からGOサインをもらったのはいいのですが、コロナで就職先がなかなか見つからずにいました。
それと並行で、義父がそろそろリハビリ病院から他へ移らなければいけない事になりました。
そんな時に、前の職場で大変お世話になった同僚から「よかったら、もう一度働けないか職場に聞いてみようか?」と言ってもらい、自分でもどこかリベンジしたい気持ちもあったので、お願いすると、面接してもらえる事になりました。
そして…
わたしは、12月からまたお世話になる事が決まり、義父の入所する介護施設もきまり、少しほっとした感じで再々スタートを切る事ができました。
この頃になると、カウンセリングでも『閉じ込めていた感情』を次々と見つけては受容してを繰り返し、以前勤めていた時よりも落ち着いていると感じていました。
ただ…それが長く続かないんです。
その辺は、鬱病12年目で書いていきたいと思います。
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