主に実家で過ごし、週末は自宅へ帰る…そんな生活を2年くらいしていました。
今回は、実家暮らしの1年目のお話です。
(この頃の記憶も断片的です。覚えている範囲でお話しします。)
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実家では殆ど寝ていました。
今思えば、「人ってこんなに眠れるの?」ってくらい…死んだように寝ていました。
あとは、身体中が痛かった…特に腰痛が酷かったです。
当時の私は…
午前中にトイレに起きると「ご飯食べなさい」と母に言われて、食べたら薬を飲んで寝る。
また昼過ぎにトイレに起きると「ご飯食べなさい」と母に言われて、食べたら薬を飲んで寝る。
18時頃トイレに起きると『お風呂に入っちゃいなさい」と母に言われ、入浴。
夕食後、薬を飲んで、妻とメールしたり電話したりして、22時半位にまた寝る。
ちなみに、目が覚めず、夕方まで寝ちゃうことも多々ありました。
それでも、夕飯食べたらまた爆睡しちゃうのだから、不思議です。
それだけ、心身共に疲弊しきっていたのだと思います。
主治医やカウンセラーから、耳にタコができるほど言われた「とにかく寝なさい」というのは、「これの事だったのか!」と後に思いました。
あと、ずっと実家にいる訳ではなくて、金曜日の夕方は自宅へ帰り、日曜の夜に妻が車で実家へ送ってくれる。
そんな生活の繰り返しでした。
春が近づいて来た頃も、鬱の状態は良くなかったです。
まだまだ『イライラ』『モヤモヤ』がありました。
東日本大震災もあり、毎日TVで流れるニュースがショックでした。
そして、何もできない自分を、激しく責める毎日でした。
相変わらず腰痛は酷かったので、実家の近所にある整体にも少しずつ通うようになっていました。でもなかなか良くならなくって…。
だから、余計に辛かったです。
鬱には波があります。
一日の中でも浮き沈みがありますが、日によって、落ち着いて過ごせる日もあれば、何もできずに寝込む日があったりします。
よく眠れて少しスッキリしている日もあれば、眠れなくてモヤモヤしている日もある。
だから、生活のリズムが掴めずにいました。
その為、整体も思うように通えませんでした。
また、この頃も相変わらず、人とすれ違うと目が回ってしまうので、外出は苦手でした。
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夏になると、少しずつ外出もできるようになりました。
だから「少しずつ、色々と慣れなきゃいけないかな。普通の人に戻るために…」と言う気持ちが強くなりました。
調子がいい日は、実家から電車に乗り、2駅先の少し利用客の多い駅で降りて、デパートへ。
平日の開店時間に行っていたので、大してお客さんはいません。
1時間くらいデパートで過ごします。
その後、電車で一駅戻り、そこから実家まで歩いて帰りました。(運動のつもり)
途中、古本屋さんへ寄るのですが、本棚に圧倒されるのか、目が回ってしまうのです。
だから、「本棚にも慣れなきゃいけない」と思って毎回立ち寄っていました。(意味不明ですね…そして迷惑な話です…スミマセン。)
「まずは、何とか人と会っても目が回らないようにしなくちゃ」と思い、やりだした荒療治でした。
決して誰かのアドバイスではありません。
あの時の自分が必死に考えた、自己流です。
今思えば、自宅に居たころに『大丈夫』と思いたくってやっていた事の延長です。
動ける時には、実家の用事を手伝ったりして、小さなことでも「やれる」ことを増やそうとしていました。
「これだけできるようになった」と思いたかったし、それが社会復帰への近道と信じていました。
でもこれは、何の根拠もない自己満足です。
それに気づかず、少しずつ1年前と同じように『自分なり』にゴールへ向かっているように感じていました。
『大丈夫。やれる。』という、おかしな自信を持っていました。
そして…年末年始を自宅で過ごすことにしました。
『何事もなく年末年始を自宅で過ごすこと』
これが、この年の社会復帰へ向けての『最終課題』だと思っていました。
(これができたところで…と言う感じですが、本人は大真面目でした。)
ところが…
『自分なりに課題をクリア』して
『自分なりに自信』を付けてきたつもりが
思わぬ落とし穴がありました。
新年を迎えたある日、わたしと義父の二人だけが自宅に居ました。
一階に義父。
二階にわたし。
(ちなみに我が家は一階、二階に別れた二世帯住宅です)
特に何かがあったわけではありません。
話をしたわけでも、顔を合わせた訳でも、ありません。
突然…、去年の正月に、義父と色々あったことが、フラッシュバックされました。
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そうしたら、呼吸がしずらくなり、怖くて怖くて仕方がないのです。
『もう大丈夫』と思っていた、わたしの自信は、呆気なく崩れていきました。
そして、また自宅に居られなくなりました。
わたしは、また足を踏み外して転げ落ちていくのでした。
これがきっかけで、また実家へ戻ることになります。
しばらくして、「このままじゃダメだ」と漸く気付き、鬱に関する本を読みました。
少しだけ、病気と向き合おうと言う気持ちが出てきたのだと思います。
そして新たな取り組みを始めるのでした。
…つづく。