鬱病12年目の年末。
鬱が酷くなり休職する事になりました。
直前に主任から言われた「気付き過ぎちゃう」という言葉がずっとひっかかっていました。
「それって悪い事なの?」
「なんでみんな気付かないの?」
そんな風に頭の中がモヤモヤしていました。
あとは、マウントを取りたがる同僚に対してのイライラもひどかったです。
そんなところから、鬱やHSPの本を1項目ずつ読んではノートにまとめていきました。
カウンセリングでノートに感情をぶつけることを教えてもらってからは、『自分と向き合うノート』として自分の気持ちをぶつけていました。
そんな中、「やってみようかな」と思うようになり、このブログを始めました。
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自分の取り組みには手ごたえがあるものの、職場復帰までには至らず…
「復帰しても、同じことの繰り返しなのではないか…」と言う想いと、「何とか復帰しなくては…」という気持ちが交互にやってきて…気付けば季節は春になっていました。
時間は思ったよりもかかりましたが、職場復帰できる状態になり、4月から職場へ復帰しました。
休職中に本を読んでは まとめたノートと、それを参考に『自分の取説』のようなノートも作って、お守りの様に持ち歩いていました。
『取説』ノートには、鬱にならない為の自分ルールが書いてありました。
「自分ばかりが動かなくてもいい。人に任せてもいい。」とか…。
休職期間中に学んだことを実践するだけ…そうは思っても、なかなか思うようにいかなかったような気がします…当たり前なんですけどね。
お守り代わりのノートを持っているとはいえ、周囲に振り回されてしまう事も徐々に増えてきました。
自分で決めたルールも、徐々にその通りには行かなくなりました。
また、12年目の時のマウントを取りたがる同僚のマウント攻撃は無くなったものの、別の同僚が、何が気に入らないのか仕事の質問をしてもイライラされるし、どうでもいいような小さな事でも、わたしが悪いと文句を言ってくるようになりました。
同じ係を担当することになったのですが、直接わたしに話はしてくれず、もう一人の担当者が伝言にくる形でしか、仕事の情報が得られなくなり、何だか蚊帳の外にいる感じでした。
何か言ってもイライラされるだけだし、言われたとおりにやっても「出来てない」と言われるだけだし…。
それがさらにエスカレートして、他の職員のミスでも わたしに責任があると文句を言うようになり…さらにそれを自分では言わず上司に報告して わたしが怒られるという事が増えてきました。
その同僚の他に、もうひとつ わたしを苦しめる問題がありました。
それは、病気などで欠勤した職員を、本人のいないところで罵倒する同僚の存在でした。
自分自身が休職していたこともあるし、「もしかしたら自分も(鬱で)急に休むことがあるかもしれない」という心配と、「あぁ陰でこんなこと言われてるのか…。」と思うだけで辛くなりました。
どうも、わたしが永らくやって来た介護の考えと、当時の同僚の考えはベクトルが違うようで、わたしは彼らから見ると「長くやっているだけで何もわかっていない」という存在だったような気がします。
そう感じる度に、「ここには自分の居場所がない」「環境が変わればやれるはず」という気持ちが強くなりました。
そんな時、休職中に読んだ本に「逃げてもいいんだよ」と書いてあったことが時々頭に浮かびました。
ここで、どれだけ頑張っても、同じような結果にしかならないし、自分は必要とされていないのなら…
その為、「春まで頑張ったら辞めよう…そうしないと潰れてしまう。」と感じ、 「あと半年…。」「あと5ヶ月…。」そんな風にカウントダウンするのが、わたしの唯一の救いでした。
「鬱にはならない」とは思っているものの、色々なストレスからか胸の痛みやら、通勤中の独り言など、危険信号は徐々に増えていきました。。
今思えば、秋になるころには限界を迎えていたような気がします。
それでも、「大丈夫」「鬱にはならない」と言い聞かせていました。
11月の終わりに、妻がコロナ感染しました。
濃厚接触者という事で、わたしも仕事を休むことになりましたが、「きっと わたしの居ないところで罵倒されているのだろう」と思って辛かったです。
2~3日休んだころでしょうか…夜寝ようとするとソワソワして眠れなくなりました。
どうしてもソワソワが治まらず…居ても立っても居られない感覚で、夜中に車でドライブに出かけたりしました。
車を走らせていると、何だか涙が止まらなくなることもありました。
それが翌日も…翌々日も続き…その度に車を走らせていました。
待機期間も終えて、検査も陰性だったので出勤しましたが、心の方は限界を迎えていました。
徐々に朝起きられず、身体に力が入らなくなり…通勤途中で涙が止まらず引き返すことも何度かありました。
そして鬱状態が悪化して12月に入ってから休職する事になりました。
休職してからは「死にたい…死にたい…」が止まらず、身体も思うように動かなくなり…さらには腰痛も悪化してどうにもならない状態でした。
「何とか春までは…」と言う想いは吹き飛び、生きていく事さえ「無理」と感じていました。
年が明けた2023年1月。
妻と話し合い、退職する事にしました。
退職すると、徐々に「死にたい」ほどの鬱状態が和らいでいき、『自分と向き合うノート』を書いたりしながら、春には就職活動ができるまでに回復し、現在勤めている職場と出合ってからは、鬱症状は全くでなくなりました。
現在の状況を考えると、わたしにとって前の職場は本当に辛い環境だったのだと思います。もちろん、お世話になった方も沢山居らっしゃるので、全てが悪いわけではないのですが、あまりにも、介護士としての自分の居場所がなく、毎日『ダメ人間』とレッテルを張られるためだけに仕事へ行っていたような感覚です。
本を読んで「逃げてもいい」と言う言葉に出会っていなければ、わたしはどうなっていたのでしょうか…。
「もう限界だ」と妻に言えた事。
そんなわたしの状況を受け止めてくれた妻のには、感謝感謝です。
もしも、仕事に復帰せずに一年前に辞めていたらどうなっていたのだろう…?
そんな風に考えたこともありましたが、辛かったけど…今の自分に繋がる必要な過程だったのだと思っています。
「逃げてもいい」と言われても、「逃げた後が不安」と感じる人も居ると思います。
また、「逃げる」事が世の中のレールから外れると感じる人も居ると思います。
だから、どうしても「逃げずに真っ直ぐ一本道」しか考えられなくなってしまいます。
そうなると、どんどん自分を追い込んでしまいます。
わたしもそうでした。
でもね「逃げてもいい」と思うだけでも随分と気持ちが楽になりますよ。
そして、「逃げてみる」と意外と自分で気づかなかった道や、自分で塞いでしまっていた道に気付くこともありますよ。
そして、逃げてみると意外と道は続いている事に気付きました。
そんな事に気付けた、辛かったけど転機になった1年だったような気がしています。
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