今回で漸く100記事目ということも少し意識の中にあったのも事実ですが、前回のブログからまた時間が経ってしまいました。
書きたい事があったのですが、何度書いてもしっくりこなくて…途中で止めた下書きがいくつか残っている状態です。
それでも、この事を書かないと自分が次のステップに行けないような気がするので、書いてみようと思います。
今までの自分を思い出してみると、『鬱にならないこと』に縛られていたように感じます。
普通の生活をする・・・それは鬱にならないこと。
鬱にならなければ、仕事を休むこともなければ、辞める必要もない。
鬱になっていろいろな思いや感情に左右されたりして、追い詰めれれたり、苦しむこともないからです。
ちなみに、ここで言う『鬱にならない』とは『鬱症状が出ない』という意味で書いています。
前回のブログで『鬱を治す』ことについての、わたしなりの考えを書いてみました。
詳しくはこちら↓↓↓
ここで、『治す』とは、『鬱になる前の自分に戻る』のではなくて、『鬱になる前の自分が、鬱になった経験を得て、新しい自分になること』と考えていると書きました。
鬱になってしまった事は、自分に起こった事実なのですが、どうしても『鬱』という現実から目を背けたくなります。
目を背けたくなるどころか、嘘であって欲しいし、自分から消したい事実なのです。
だから、どうしても『元に戻りたい』と考えてしまいます。
でも、時間は戻らないので、鬱になる前の自分に戻る事は不可能なんですよね。
だったらもう、現実を受け入れて前へ進むしかないんです。
わたしは鬱になって13年。
良くなったと思っても、また鬱がやってくる。
これでもう大丈夫と思っても、また鬱がやってくる。
そんなことの繰り返しでした。(気が滅入るほど…)
だから、自分に余裕が出てくると、いろんな本を読んだり、ネットで調べたり、受診の時やカウンセリングで相談したり・・・自分に合った方法を模索してきました。
そして、今度こそ鬱症状が出ないようにと、対策も練ってきました。
それでも・・・鬱がやってくるのは何故なんだろう?
そんなことを前回のブログを書いてから考えていました。
確かに、鬱から抜け出す方法にも慣れてきたし、鬱から抜け出す時間も以前よりも速くなったと思います。
鬱症状が出ない期間も、随分と長い期間ありました。
一昨年の暮れに鬱が酷くなって休職し、去年の春に職場復帰したのですが、その際にもいろいろと対策を練ってから復帰しました。
対策が功を奏したのかは分かりませんが、去年は11月頃まで鬱症状はありませんでした。
もちろん、この休職期間で、自分の本心と向き合う事ができたのは非常に大きかったと思います。
それでも、鬱はやって来たのです。
なので、去年、職場復帰した時から、今年に入って退職するまでの事を思い返してみる事にしました。
対策していった事は、できるだけ意識するようにしていたので、よかったと思うのですが、「もう繰り返さないぞ」という気持ちが強すぎたのかな・・・と感じました。
「こんな時はこんな風に対応する」みたいなことを頭に入れていても、実際にはなかなかその通りにはできない事も多々ありました。
自分で思っている様に対処できないと、対処できなかったことを気にしてしまったり、忙しくて対処できないことが続いていくと、気にしていた対処法がだんだん薄くなってしまいう。そしていつの間にか対処できないことが当たり前のようになってしまったり…。
そんな自分に気付くと、「また忘れちゃってたな…」と忘れた事を気にしてしまう。
スタートから暫くは良かったけど、後半は「鬱にならない」という意識が強すぎて振り回されてしまったような印象です。
『鬱を治す』ことから『新しい自分』へと考え方が変わったけど、まだまだ飲み込めていないような…何か引っかかる感じがしていました。
そんな事を考えていた時に、
「どうしたらもっと楽になるかな・・・」
何てふと思いました・・・。
「もっと楽に…なりたいなぁ…」
そんな風に考えていたある日、
「もう鬱も自分の一部って考えたら・・・楽なんじゃないかな」
なんて思えてきました。
「楽」って『気楽』って事です。
どうしても、今まで「鬱にならない。繰り返さない」って事を意識しすぎていました。
だって、仕事がまともにできないと困りますもんね。
でも、意識しすぎているって事は、それだけ気を張っている訳で、自分の首を絞めているようなものだと思ったんです。
もちろん、「無理しすぎない」とか「がんばりすぎない」とか「人に頼ろう」とか・・・そういう対策は大事です。
そこは押さえつつ、「それでも鬱がやって来るのは自分にはありえることなんだ」と言うくらいの方が、肩肘張らなくていいような気がしたんです。
例えば、「自分はお腹を冷やすと、下しやすいから腹巻しよう」とか「この季節は風邪を引きやすいから気をつけよう」みたいな感覚で。
鬱もそれくらいの感覚で、「少し鬱っぽくなってきたから睡眠を多くとろう」みたいに自分にはありえることとして、そういう体質なんだと捉えたら気楽だと思えたんです。
もちろん、鬱が酷い時はそんな余裕もなくなるとは思うけどw
「鬱にならない」と言う意識が強すぎる場合、症状が出てくると「また来た!!」と思って、どうしても深刻に捉えすぎて泥沼にはまってしまう。
泥沼にはまると、対処も適切な判断も出来なくてパニックになるだけだし、出てくるのは「早く元に戻そう」「症状を無くそう」という思いばかり。
でも、鬱と気楽に付き合えたら、「こういう時はこうだな」って感じで対処できないかな・・・と思うんです。つまり、鬱症状が出ても、余裕を持ちたいのです。
「おう!いらっしゃい。久しぶりだね」ってくらいにw
去年の失敗点は、「鬱にならない。繰り返さない」を意識しすぎて、最後は麻痺していた事だとに思うんです。
忙しいからって、「まだ大丈夫」って言い聞かせて、自分を見ないようにしていた・・・。
「まだ大丈夫」の根拠は「前の状態よりはマシ」って感じだったような気がします。
それは鬱が最悪の状態と比べて「まだ大丈夫」と判断していたのではないかな…。
『鬱と気楽に付き合っていく』
そう考えると、去年のわたしは『鬱にならない、繰り返さない』と言う気持ちが強すぎて、『抗おう』としていたようにも感じます。
つまり、まだどこかで「鬱を治したい」「鬱以前の自分に戻りたい」と言う気持ちが残っていたような気がするんです。
鬱に『抗う』のではなく、鬱と『付き合っていく』
鬱は自分に対する自分からの警告であるならば、鬱に『抗う』のは自分に『抗う』事。
だから、『抗う』のではなく『付き合っていく』『向き合って行く』べきなのかなと思うんです。
今回もまた随分と遠回りしたけど、やっと自分でも腑に落ちる結論にたどり着けたような気がしています。
これからは、鬱と気楽に付き合い居ながら一歩一歩少しずつ前に進めればいいかなと思っています。