自分では「まだまだ大丈夫」と思っていても、心と身体は悲鳴を上げている事が、今まで何度もありました。
でも、なかなか気付けないんですよね…。
そんな時はもう鬱状態なんだと思います。
心と身体が悲鳴を上げている時は、以前ブログに書いたように、朝がなかなか起きられません。
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仕事へ行くために、逆算して起きなければならない事は分かっていますが、身体が鉛のように重く感じて、動けません。
身体が動かせないので、「もう少しだけ、横になっていよう。そうすれば起きられるかも…」と思い「あと5分」「あと10分」と横になっています。
でも、どれだけ横になっても状態は変わりません。
そして、「これ以上寝ていると、遅刻してしまう」と、何とか起きてくるのですが…。
起きてきても、次の動作に移れません。
「早くご飯を食べなきゃ…」
「早く着替えなきゃ…」
「早く歯を磨かなきゃ…」
そう思っても、身体が重だるくて動けないのです。
「早く、早く、遅刻しちゃう…」と焦る気持ちに逆らうように、体は動いてくれません。
本当は、こんな状態の時は仕事へ行くどころではないのです。
仕事するなんて…いや、そもそも起きてくることさえ、やっとなんです。
でも、そんな状態をどう説明しても、「理解してもらえない」と思うし、「こんな事で仕事休んじゃダメだ」と言い聞かせる自分も居るのです。
「高熱がでた」とか、「大けがをした」とか、誰もが「今日は休みなよ」と言ってくれるような状況ではないと思うからから余計です。
だから、時間をかけて何とか準備して出勤します。
でも、一方で「誰か休んでいいよ」って言ってくれないかな…と思う自分もいるのです。それ位辛いんです。
『鉛のように身体が重くて動けない』
そんなこと言っても、なかなか理解してもらえないと思います。
表現が難しいのですが、わたしはこんな風に感じています。
鉛のように重い…
まず、身体に力が入りません。
脱力しているような感じですかね。
とにかく身体が動かせないんです。
酷いときは身体中痛みがあるような時もありました。
そんな状態の身体に何十キロ…いやもっとかな。
100キロ単位のものが体に覆いかぶさっているような感覚です。
(実際乗せたことないけど…それ位重い物が載っている感じです)
なので、寝ていても押しつぶされそうな…そのまま地面に沈み込んでいくような…そんな感覚なんです。
例えるなら…身動き取れないように縛られて、上に重りを乗せられた状態で底なし沼へ沈んでいくような感覚かな
「仕事休めない…」と思うからか、何とかしようとするんです。
「もしかしたら、10分だけでも横になったら動けるかもしれない…」と考えたり…。
でも、結局状況は変わらないんです。
そんな身体を、引きずるように何とか起きてきても、身体が動かないんです。
身体が動かないだけではなくて、正直、頭も働いていないと思います。
「早く」「早く」と急かす自分もいるのですが、頭がボーっとしていて、次の行動ができないのです。
頭と身体が連動しないというか…頭も体もストライキを起こしている感じですかね。
何とか支度をするのですが、今度は、玄関に向かうのが怖くなります。
玄関のドアを開けるまでが本当に辛いのです。
この時は身体が重だるいだけではなくて、不安があふれ出してくるのです。
だからですかね…それが何日も続くと、涙があふれてきたり、吐き気がしたり…そんな症状まで出てきます。
何とか騙し騙し出勤すると、何とか一日仕事はできます。
でもちょっとした事でのダメージが大きく、イライラモヤモヤと疲れが普段の何倍も襲ってきます。
なので、帰宅すると動けなくなってしまいます。
身体が重だるいのも、頭が働かないのも、不安が大きくなって涙が出るのも、吐き気がするのも、一言で言ってしまえば鬱症状なのでしょう。
前にも書きましたが、「鬱は言いたいことがあるから現れる」と読んだことがあります。
わたしなりの解釈ですが、鬱が言いたい事というよりは、自分自身が言いたいことがあるから鬱を通して伝えているのだと思います。
そう考えると、「限界超えるくらい頑張りすぎたから、休まなきゃダメだよ」と自分自身がわたしに忠告していたのだと思います。
いろいろな鬱症状を使って、自分を守るために、わたしを引き留めていたのかなと思います。
そういえば、あの頃は随分と無理してきたし、自分を無視していました。
仕事に復帰した現在は、休んでいた分体力がないので疲れが溜まっています。
朝はもともと弱いので、「あと10分…」と横になる時間を延長してしまう事が、度々ありますが…不調の時と違うのは、疲れていても、起きたらすぐに行動に移せることです。
そして、
「今日は天気がいいなぁ」とか
「朝ごはん美味しいなぁ」とか
感じる余裕があります。
こんなに快適なことはないです。
また鬱症状を使って、自分自身から警告される前に、自分と向き合いながら生活していきたいと思います。