またまた前回の記事から間が空いてしまいました。
前回で100記事という事で、ブログのデザインを変更しました。
理由は、カテゴリーからもう少し過去の記事が分かりやすくできないものかな…と言うのがあったので、変更しました。
就活も再開したので、なかなかブログのデザイン変更に着手できずにいた為、時間がかかってしまいました…。
前回の記事で『鬱に抗うのではなく、気楽に付き合っていこう』と考えてからは毎日落ち着いて過ごせています。
詳しくはこちら↓↓↓
この件については、腰痛の為、今年に入ってからお世話になっている整体の先生ともお話しする機会がありました。
整体の先生からも、「何でも、自分の個性だと思った方がいいですよ」と言っていただいて、なんだか安心できました。
整体の先生も、「大勢の前では揚がってしまって上手く喋れないけど、それも自分の個性だと思うようにしています」と仰っていました。
そんなお話をお聞きしてから、今までの自分を思い返していました。
今までの自分は…
自分の性格だったり、容姿だったり、人と比べて上手くできない事であったり…大きなものから小さなものまで、自分の嫌なところばかりが気になっていました。
そんな自分が嫌いで、自分を否定ばかりしていたように思います。
自分を否定してばかりいるから、自分に自信が無くって…。
だから、人からの意見や指摘にも弱く、人から良く思われる様な選択ばかりしていたような気がします。
鬱とのかかわり方も、全く同じで、鬱になってしまった自分を受け入れられず、何とか症状が無くなれば、鬱であった事実が無くなる様な感じがしていた様に思います。
だから、症状が出ても、「まだ大丈夫」と判断してしまっていたのも、鬱と言う事実を見ないようにしていたのかな…と思うんです。
「鬱から抜け出す為には、こんな考え方がいいよ」と言うのを見つけると、それを全て受け入れて、自分を変えようとしていた…。
もちろん、今までの自分にはなかった考え方を受け入れることは悪い事ではないです。
でもそれも、自分に無理があるのでは意味がないのだと思うんです。
今ようやく、『鬱も自分の個性』と捉えられるようになったのも、色々な考え方を学んだからだと思います。
ただ、自分が色々な考え方を理解して、自分の中に落とし込むのではなくて、どこかで『そうならなければいけない』と言う焦りがあったように感じます。
鬱に対してこれまで自分がやってきた事は、方向性は間違っていなかったのだと思います。
ただ、『鬱と向き合う』という意識はあったけど、どこか無理をしていたし、理解しきれていなかったのだと思うんです。
もしかすると、今の自分が納得している『鬱も自分の個性』と言う考え方も、まだまだ理解しきれていないのかもしれません。
でも、このブログを始めた頃の自分や、休職から復帰して仕事していた頃の自分と比べると、明らかに心が穏やかです。
先日、ふと思い立って、両親と弟のお墓参りに行ってきました。
少し前の自分は、「やっぱり父とは合わない」と思っていたけど、わたしが運転する車の助手席に座る父が、今までわたしが腹を立てていたような発言を繰り返しても、ほとんど気になりませんでした。
今まで、父の発言でイライラしていたのは、わたしや家族をはじめ人を批判したり、自分の都合のいいように人を使うところでした。あとは、自分の話ばっかり…。
結局、父の発言は、わたしが気にしている事ばかりを弄ってくる感じで、そこに一番腹が立っていたのだと思います。
でも、わたしが気にしていた事も『自分の個性』と少しずつ考えるようになったからかでしょうか?
なんだか、父の発言をいい感じでスルーして会話できたような気がします。
こんな感じが、他の場面でもできたなら…
自分の体調が悪いときにも、こんな感じでできたなら…
それは、本当に、今まで『生きにくい』と感じていた部分が一つクリアできるのかなぁ…と感じています。