今日も迷走中!!~鬱と向き合うオジさんの記録~

毎日迷走中のおっさんのブログです。主に鬱病の体験記です。その他、仕事の事、趣味の事などいろいろと書いていきます。

鬱病を治すとは…を考える

前回書きましたが、先週、就活を始めたらまた鬱症状が出ました。

今回の鬱症状を乗り越えてみて、色々と思うところがありました。

 

初めて鬱になった頃から、随分と長い間は、『早く鬱を治そう』そう考えていました。

鬱になってしまったと言う現実を受け入れられずにいたようにも思います。

それと同時に、毎日繰り返される鬱症状との戦いに怯え、早く治して、元の自分に戻ろうと焦っていたように思います。

この頃の『鬱を治す』『治す』

治す=鬱以前の自分に戻る

…と思っていました。

 

鬱症状が無くなる事が『完治』なのだから、症状が出る以前の状態に戻る事が『完治』と考えていました。

 

という事は、鬱になった事実から目を背け、鬱になった自分を否定しているという事になるのです。

 

当時の診察では、「君は鬱の一歩手前の状態だから、病名を付けるのは難しい。でも休んだほうがいい状態である事は変わらないから、診断書にはこう書いておきます。」と言われ、最初の診断名は『抑うつ性神経症』でした。

「一歩手前」という当時の主治医の発言…その部分が強くインプットされてしまったのか、「自分はまだ一歩手前なのだから直ぐに治る」と思っていました。

当時のカウンセラーからも、「病気の事」や「なぜ薬が必要なのか?」などなど説明を受けた記憶があります。でも、あまり理解できていなかったと思います。。

 

今なら、『鬱状態が酷いときは頭が回らない』と理解できていますが、当時は理解したつもりでいたと思うし、何より自分は「一歩手前」なのだと思っていました。

だから「すぐに元に戻る…」と何の根拠もなく思っていました。

 

鬱になって2年目か3年目か…そのころ読んだ本に『第三の自分』と言う言葉が書いてありました。本のタイトルや内容は忘れてしまいましたが、『第三の自分』と言う言葉が、当時から妙に引っかかっていました。

 

『第三の自分』を簡単に言うと…

鬱になる前の自分が『第一の自分』

鬱になってしまった自分が『第二の自分』

鬱になった経験から生まれた新たな自分が『第三の自分』

そんな感じだったと記憶しています。

 

『鬱を治す』=『元に戻る』

そう考えていた頃は、『第二の自分』から『第一の自分』へ戻る事を選択していたのだと思います。

 

鬱なった自分が、鬱になる前の自分に戻ったところで、また鬱になって…繰り返すだけ

今はそう思うのですが、その頃はまだ『第三の自分』の意味が全く分かっていなかったので、どうしても鬱になる前の状態=『元の自分』に戻りたくなります。

たとえ鬱症状が落ち着いたと思っても、また顔を出してくる…この繰り返し。

つまり、鬱になる前の自分にいくら戻っても、また同じ過ちを繰り返してしまうって事なのです。

本当は鬱症状が出る根本(原因)に目を向けないといけなかったのですが、目の前の症状が辛いから、どうしても症状に目が向いてしまっていたのです。

 

 

鬱は『治す』のではなく『向き合う』のだと少しずつ意識しだしたのは、今のカウンセリングの先生に出会ってからです。

通い出したのは2019年の春から…。

 

こちらのカウンセリングに通うようになったキッカケは、「違う医師やカウンセラーの話を聞いてみよう」と思ったからです。

それまでは頑なに同じクリニックの医師とカウンセラーのお世話になっていました。

(現在も通院中。医師、カウンセラー共に、途中で代わったので2名ずつお世話になりました。現在は、こちらでのカウンセリングは受けていません。)

初診からお世話になった主治医が処方した薬が、どうしても自分に合わない…主治医に相談するとより強い薬を出されるだけで、最後は「君は気持ちの問題だよ」何て言われて…「ここまでの数年を返せ!!」そんな気持ちになりました。

カウンセラーと相談したら主治医を変えてもらう事になり…少しずつ動き出したような感じでした。また、職場にも、カウンセラーが居て、話を聞いたらちょっと新鮮だったこともありました。

 

そんな経験から、「いろいろな人の話を聞いてみたら、自分に合った方法が見つかるのでは?」と考えるようになりました。

 

その後、鬱で職場を辞めることになった時に、「他のカウンセラーの話を聞いていみたい」と妻に相談して、ネットで見つけたカウンセリングでした。

 

 

こちらのカウンセリングでは、わたしの心の中にある封印したもの(気持ち)を、ひとつひとつ開けてはその気持ちと向き合っていく…そんな感じでした。

 

それまでも、「弟が亡くなった事が原因なのかな…」と何となく頭の片隅にはあっても、鬱症状と結びつけて考えることは、あまりなかったような気がします。

当時は、自分を苦しめている…目の前にある鬱症状とばかり闘っていました。

人に聞かれて、原因として挙げることはあっても、それと鬱症状がどう結びついていて、それが症状が無くなるのにどう結びつくのか…そんな風に思っても見なかったのです。

 

だから、始めは「???」と言った感じでした。

それまでのカウンセリングでは「鬱症状が出たら、無理せず休みなさい」とか「深呼吸しなさい」と言ったアドバイスを毎度貰う感じだったので…。

だから、「この先生に賭けてみよう」と思って、カウンセリングに通いました。

 

初めのうちは「自分の心に封印したものは一つか二つくらいなのかな…」と思っていたけど、「いったいどれだけ隠しているの?」と言うくらい次から次へと出てきて…。

それも発見しやすい所に置いてあればいいのに、気付かれないように色んな所へ隠している…「こんな所にも…?」そんな感じでした。

 

幾つも封印を解く中で、漸く身についた『自分と向き合う為のノート』

勝手にそう名付けてブログに書いてますが…w

 

これが自分でもできるようになってきて、最近は封印を発見してその気持ちと向き合うのに時間がかからなくなってきました。

という事は…「以前よりも、自分を大切に出来てきたのかな?」なんて思っています。

今までは人に向けてばかりだった意識が、少しずつ自分へ向くようになってきたのだと思います。

 

 

一つ封印を解いて、その気持ちと向き合う事ができても、「まだあるよ」と鬱が教えてくれます。

 

「もうこれで最後でしょ?」って毎回思うけど、まだまだあるみたいです…。

しばらく大人しくしていても、「これもまだ気づいてないよ!」と鬱が教えにくるのです。

 

 

今回、就活を始めたら出てきた鬱症状も、そんな感じ。

仕事に関しても、いろいろと自分の気持ちと向き合ってきたと思っていたのですが…「これが解決していないから、仕事始めてもまた同じだよ」って鬱が教えてくれたのだと解釈しています。

 

どうしても、鬱になった頃に原因を求めてしまいがちだけど、年齢分はいろんな気持ちを封印してきたのだと思えば、一朝一夕にはいきませんよね…。

 

それでも、いろいろと葛藤しながら、一つ乗り越える度に気持ちは軽くなっています。

 

当時読んだ本は何て本だったのか?そして、どこへ行ってしまったのか分かりませんが、『第三の自分』を自分なりに解釈すると…

 

鬱になる前の自分が、鬱になった経験をもとに、自分と向き合い、封印した気持ちや、自分を縛っていた(苦しめていた)ルールに気付いて、それらから解放された『新しい自分』になる

 

そんな感じなのかなと思います。

そして、その『新しい自分』こそが、鬱病を克服した姿なのだと思っています。

まだまだ…と思うと「もう勘弁してよ」って思っちゃうけど、確実に『新しい自分』に近づいていると感じています。

だから、ゆっくりでも一歩一歩進んで行こうと思います。

 

 

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