何度か記事で触れてきましたが、わたしはカウンセリングで沢山の感情を心の奥の方に閉じ込めていた事に気付かせてもらってから、ひとつひとつ…重たい蓋で閉じ込めた感情を開放してきました。
弟を亡くした時に仕舞い込んだ悲しみだったり…
子供の頃から父親に対して持っていた感情だったり…
大きなものから、小さなものまで、一つ蓋を開けると次がまた現れて…
一体幾つあったんだろう…
だから、もうないかな…と思っていました…w
今まで明けてきた蓋は、どれもとっても重くて開きにくかったり、見つけるのも難しいものばかりだったような気がしていました。
もしかすると、「自分が我慢すればいい」とか「どうせどうにもならない」なんて言う思いが強くて、見えない気付かないふりをしていたのかも知れないです。
何故かと言うと…開放してきた感情は、重い蓋で頑丈に封印されているはずなのに、モヤモヤとなって心の中に現れていた…いや、蓋を持ち上げて溢れていたのです。
モヤモヤとなって溢れて出てきた感情は、封印されている間に腐敗して質の悪いものになっていた…。
それは当たり前ですよね…だって自分の気持ちを無視してきたのだから、グレても仕方がない。
それが、鬱と言う形で自分に現れて苦しんでいたのだと思っています。
このブログで時々書いてきましたが、「鬱には言いたいことがある」から色々な症状でわたしに警告していたと考えると、納得がいくような気がします。
自分の気持ちに嘘をついて、自分を追い込んで…
そこには、キッカケとなる人間関係やら出来事やらあったけど、「自分が我慢すれば…」と自分自身を大切にすることを忘れてしまっていた…。
時と場合によって我慢しなければならない事は多々あると思います。
それは時と場合によっては仕方がないこともある。
でもね…
我慢する事が当たり前になってくると、『我慢する』と言う選択肢が一番目になってしまって…最後は『我慢する』しか選択肢がなくなってしまうんです。
「自分が我慢すればいいんだから…」って。
自分が『我慢』すれば丸く収まると思ってしまうけど、丸く何て治まっていないんです。
結局は、徐々に自分の首を絞めるようなものだから…
何でもそうかも知れないケド、度が過ぎると良い事はないのかな…と言うことかな。
結局、自分の気持ちを我慢して、無視して…そんな事を繰り返していると、どんどん追い込まれていくんです。
追い込まれると、そこから『逃げる』と言う選択も出来なくなっていく…。
『逃げる』事に罪悪感を感じてしまうと、そこから更に追い込まれてしまう…。
そりゃあ、心も身体も壊れてしまって当然だと思います。
わたしが、このブログを始めた少し前の事…
自分では早めにブレーキを踏んだつもりでも、無理しすぎて限界を超えていました。
休職させてもらうことになった時に、体調の良い日に鬱やHSPの本を読みました。
何とか現状から抜け出す為の突破口が欲しかったから…。
正直、鬱が酷いときは本を読むのも辛くて、全然頭に入らず、同じところを行ったり来たり…そんな感じでした。
だから、少しずつ読んではノートにまとめて…
その積み重ねが小さくても自信になれば…と思っていました。
その時に読んだ本に「逃げてもいいよ」と書いてあったからこそ、昨年末に鬱が酷くなった時に「もう逃げよう…無理」って選択肢を持てたのだと思います。
本を読んでいなかったら、「このまま我慢して続る」と言う選択肢しかなかったような気がします。
仕事を辞めて、症状も改善して来てから就活を始めたけど、なかなか良い所が見つからず…。
そんな時に、以前見学をさせて頂いた時にとても感動した施設をネットで見つけました。そして、現在はそこでボランティアとしてお世話になっています。
以前見学させて頂いた時は、「こんな介護がしたかった」と言う気持ちよりも、「病気の事なども考えると自分には無理かな…」という気持ちが強かったのを覚えています。
何というか…とても敷居が高い様に感じてしまって…。
でも…「悔いのないように…ダメもとで、やってみよう…」と思い切って飛び込んでみてました。
5月からお世話になっていますが、始めは今までの事が頭を過って二の足を踏んでしまう事が多かったです。
でも、それでは飛び込んだ意味が無いから「悔いのないようにやるには、自分が今まで大切にしてきた事を意識してやってみよう」と考える事にしました。
自分の意識がそんな風に変わってきた頃に、職員の方々からも色々と役割を振ってもらって、自分のやってみた事も認めて貰えて…
そして、お世話になってから言って頂いた「答えは一つじゃないから…」と言う言葉にも救われました。
そんな環境でやらせてもらっていたら、いつの間にか病気(鬱)の事を考えなくなっていました。
最近になって…『灯台下暗し』ではないけど、ホントはどこかで自分でもわかっていたのかも知れないけど、気付かないふりをしていた蓋があった事に気付きました。
それは、『介護に対しての自分の気持ち』にも蓋をしていたという事。
同じ介護でも、今までの職場の仲間とはベクトルが違っていると感じていました。
そう感じる出来事がわたしを苦しめてきました。
「答えはひとつ」と言う考えの人が多い環境だったから、時には叩かれ、疎外されていました…わたしの考えは『理想』に過ぎないと…。「みんなと同じ答えを持て」と…。
だからそんな環境で生きて行くには、自分の考えや経験さえも蓋をしていくしかなかったんです。
蓋を閉じるしかなかったから、自分が学びたいと思っていた事も、自分の考えも…色々なところで目を背けるしかなかったんです。
だからですかね…介護の仕事は大好きだけど、何だか介護の仕事を続けることに罪悪感がありました。
今、わたしが清々しい気持ちで毎日を送れているのは、見て見ぬふりをしてきた蓋を開放できたからなのだと思います。
そして、この清々しさから思うのは、これが『一番重要な蓋』だったのかなという事。
もうこれからは、この蓋を閉じることなく仕事していけるのだと言う安心感を感じています。
もちろん、これが最後の『蓋』であったらいいのだけど、こればっかりは自分でもわからないのでw
自分の事って分かっているようで分かっていない事が多いな…そんな風に感じています。
だから、もっと自分に目を向けていきたいと思います。
そんな風に考えるようになったら、あれもこれもとやりたい事が出てきました。
少しずつ、チャレンジしたいと思います。
それと、自分の気持ちや考えを少しずつ話せるようになりたいと思っています。
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