鬱病12年目は、居場所がない…自信がない…どうしていいか分からない…そんな一年だったような気がします。
以前に勤めていた職場に復帰させて頂いた訳ですが、所属はデイケアではなく入所の介護職員でした。
入所の仕事は…それこそ鬱になる一年前が最後なので、12~13年のブランクがありました。
以前勤めていた職場とは言え、また新人になる訳だし、入所の仕事も12~13年のブランクがある為、「一から教えてください」とスタートしました。
仕事の事も心配だけど、やっぱり「もう鬱にはなりたくない」と言う気持ちは常にありました。
だから常にピンと張りつめているような感覚があったともいます。
仕事は丁寧に教えてくれる人も居ますが、何だかマウントを取りたがる人も居て、正直やりにくかった…w
その場しか見ないで「何やってんだ!さぼるな!!」と言ってくるのは毎度の事…。「今はこういった状況だったから、こう対処したんです」何て言っても、聞いてはくれない。
だから、必ず誰かに確認しながら…保険を掛けながら仕事をしていました。
多分…自分よりも経験の長い人が入ってきて面白くないのと、どこかで「入所よりデイは下」と考えているようで、「どうせ仕事できない」と思われているような気がしていました。
そんな状況だから、何か月たっても自分の居場所を見つけられず、介護観の違いで怒られることも多々あるから、自信を取り戻すことも出来ず…。
そして、「もう鬱にはならない」という想いから自分の立ち振る舞いもどうしていいのか分からなくなっていました。
「鬱にならない」…その思いが強いから、自分の身体が発する危険信号も気付かないふりをしていたような気がします。
胸が痛くなっても、「これくらいの痛みならまだ大丈夫」とか
通勤の為に運転している間、独り言が止まらなくなっていても「発散できているから大丈夫」とか
モヤモヤイライラしてきても、「まだ大丈夫」って…。
今になって思えば、あの頃「大丈夫」と思っていたのは「最悪の状態に比べれば大丈夫」とうだけの事。
最悪の状態と比べれば、胸の痛みも…独り言も…モヤモヤイライラも…当時感じていた危険信号は、「大したことない」と判断して「まだ大丈夫」と言い聞かせていたような気がします。
そうこうしていて、秋になった頃…。
それまで溜まりに溜まっていたイライラ、モヤモヤがピークになっていました。
ある日の事。
その日は遅番で、夕食後、利用者さんを食事のあと歯磨きし、トイレへ誘導して、居室へ誘導しベッドへ寝かせてあげるまでが仕事です。それも勤務時間内に…。
運悪く…わたしにマウントを取ってくる職員(男性)ともう一人はマイペースで手抜きの上手い職員(女性)と一緒に遅番でした。
わたしは、どちらと関わっていてもイライラするばかりなのはわかっていたので、最低限のコミュニケーションはとりながらも、仕事に集中する事にしました。
トイレやら居室からナースコールは鳴るものの、他の二人はあまり対応せず…その為、ナースコールの対応をしながら、トイレ介助や居室誘導などをしていました。
大分ゴールが見えてきた時です。
わたしがベッド移乗の介助をしているとマウントを取りたがる職員が手伝ってくれました。
「ありがとうございます。」とこっちが言う間もなく、彼は車椅子を押して去っていきました。
わたしはわたしで、後片付けなどをして…「今日は何事もなく終わったかな…」と思ってナースステーションへ戻ると、他の職員の前でマウントを取りたがる彼が「2名で介助の利用者さん連れているんだから、手伝いに来なきゃだめだろう!」と言ってきました。
「???」わたしは、彼が誰を連れていたのかも知らないのです。
いつもは、そこも我慢して「すみません」と言っていたのですが、わたしも溜まりに溜まっていたため「一言、この後手伝ってくれとか言わなきゃわからないだろ!ふざけんじゃねーぞ」と言い返してしまいました。
言い返した後は…妙な罪悪感で一杯でした。
その一件で、それまで堰き止めていたものが決壊してイライラモヤモヤが溢れ…翌日からは朝も起きられなくなり、動けなくなり…最悪な状態になってしまいました。
わたしの状態はどんどん落ちていきましたが、マウントを取りたがる彼はそれ以降おとなしくなりました…w
最悪の状態になった後、介護主任と話す機会がありました。
そこで「色々気付き過ぎちゃうんだよね。」と言われたことが、ずっと引っかかっていました。「それって悪い事なの…?」って。
何とか騙し騙し仕事へ行っていましたが、結局最後は自宅を出ることが恐怖になり、身体が動かなくなり…酷い鬱状態になってしまい、12月頃から3月いっぱいまで休職する事になりました。
あの頃のわたしは、まだ自分と向き合うノートも上手く書けず、自分と向き合うという事が上手く出来ていませんでした。
自分に自信がなかったし、それまで長くやって来た介護の経験も信じられなくなり、迷宮入りしていました。
だから、「それはこうじゃないですか?」「自分はこう思います!」という主張も出来ず、ただただ、鬱になる事なく仕事を続けていければいいと思っていました。
結局ここでも、自分の本心は無視していたし、波風経たないように…鬱にならないように…そんな感じで無理して、我慢して…。
何より身体が発する危険信号も軽視してしまった事が、自分を追いつめる結果になってしまいました。
その後、休職期間中に「何とかしなくちゃ」と思い、鬱やHSPの本を読むようになりました。
本を読む事も…鬱になると辛いんです。頭に入ってこないのが分かるし、自信がないから何度も同じところばかり読んでしまう…。だから、1項目ずつノートにまとめながら読みました。
そうしたら、主任から言われた「気付き過ぎちゃう」事も、自分の特性なんだと理解できたし、少しずつ「?」と思っていた事の答えが見つかったようでうれしかったです。
「自分はこのままでもいいんだ」って。
ノートにまとめた事も、要点を見返せるし、何よりこれだけやった(読んだ)という自信になりました。
それと同時に、『自分と向き合うノート』も毎日書くようになり、徐々に自分の心の奥の方にあった本当の気持ちに気付けるようになりました。
そんな事を毎日少しの時間ですが取り組んでいるうちに「ブログをやってみようかな…」という気持ちが湧いてきて、このブログを始めました。
ブログを始めてから、自分の考えやら体験やらを「誰かに伝える」と思って書いていますが、おかげでブログを書きながら「あ~なるほど!こういう事だったのか!」って答えに辿り着けることもあったので、わたし自身もとても助かったと感じる事が多かったです。
仕事の事で言えば、あまり良い思いの無い一年でしたが、休職したことで 鬱との関係、かかわり方を知るキッカケになった一年だったような気がします。
漸く向かうべき方向に光が差したような…。
それでも、翌年仕事に復帰してからは、まだまだ色々とある訳ですが…その辺はブログにも書いてきましたが、また次回以降にまとめられたらと思います。
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