わたしが苦手な事に「ほめる」と言う事があります。
これは、相手がわたしを「ほめる」事も、わたしが相手を「ほめる」と言うどちらも含まれます。
「ほめる」は「褒める」と「誉める」がありますが、調べてみると…
どちらも「人の行いを評価する事」の意味ですが、「褒める」は目上の人、または同列の人に向けて使われる事が多く、「誉める」は多くの人からの評価という感じみたいです。
ここでは、「褒める」の方で話を進めていこうと思います。
わたしが、「褒める」事が苦手な理由のひとつに、子供頃に褒められた記憶があまりない事があげられると思います。
「あまりない」と書いたのは、母親をはじめ、周囲の人から褒めてもらった記憶はあるんです。
ただ、父親から誉められた記憶がありません。
例えば、テストでいい点を取ろうが、絵画コンクールで賞を貰おうが…わたしが父から言われた記憶は「そんな事はどうでもいい」「○○(従兄弟をはじめ父の知り合いの子供)はもっとすごいんだ」という事ばかり。
どんなに頑張っても、周りから評価されても、父には認めてもらえない…
「お前はダメだ」そう言われる事ばかり…
そんなことが、子供の頃は当たり前だったと記憶しています。
その記憶が強くあり、褒めてもらった記憶は遥か彼方…そんな感じです。
だからでしょうか…
わたしは、褒めてもらっても素直に受け取れないんです。
褒めてもらっても、その言葉が、スーッと身体をすり抜けていってしまう感じ。
心に留まっていないというか、心の奥の奥へ行ってしまう感じです。
逆に、わたしのミスを突かれたり、否定される様な発言は、いつまでも心に突き刺さって、心に根付いてしまう。
自分が傷つけられた言葉ばかりが心に溜まっているから、褒めてもらった言葉が留まる場所がないのかも知れません。
もしくは、傷つき濁った心に、きれいなものを入れても、なかなか薄まらない…そんな感じなのかもしれません。
あとになって、「あの時褒めてもらってたんだよな…」って言われて気づく事もしばしば…。
これでは、自信を付けるどころではないですよね…。
自分の心に褒めてもらった言葉が染みついていないからでしょう…
相手を褒めることに慣れていない…何て言っていいのか分からないんです。
「すごいな」「すばらしいな」と思う事はあっても、それを伝えるすべを知らない…。
素直にそう言えばいいのだろうけど、恥ずかしくなってしまうんです。
でも…
「ほめる」事が苦手なんて、言ってる場合じゃないですよね。
自分ばかり「認めてほしい」と思っていても、相手を「認められない」んじゃ難しいですよね。
自分ばかりが欲しがっていても、相手がいる事なのだから、キャッチボールにならない。
だから、自分からも返せるように…発信できるようにしていかなければダメだな…と思うようになりました。
きっとこういう所からも、鬱につながっているんじゃないかなと思うんです。
心が荒れ果ててしまっているのなら…自分で少しずつ耕していかなくては…
そのひとつとして…
自分から「褒める」事ができるように…
今からだって遅くはないはず…
恥ずかしがらずに、少しずつチャレンジしていこうと思います。
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