今日も迷走中!!~鬱と向き合うオジさんの記録~

毎日迷走中のおっさんのブログです。主に鬱病の体験記です。その他、仕事の事、趣味の事などいろいろと書いていきます。

はじめて心療内科へ行った時の事。

前回も書きましたが、わたしが心療内科へ通うようになって10年以上経ちました。

 

自分とは無縁と思っていた心療内科へはじめて行ったのは、当時勤めていた職場の上司のアドバイスからでした。

わたしはずっと介護士として施設や病院で働いてきました。

実はその職場は、3ヶ月ほどしか在籍しておらず、実質仕事ができたのは2週間くらいでした。

初出勤した日、わたしの相手をしてくれた職員がちょっと変わった方でした。その職員は、わたしが他の施設で経験がある事が面白くないようで、まともに仕事を教えてくれず、その方の指示通りに動くとクレームになるのです。

前の職場も同じようなことがあり、いろいろなストレスが多く、「心機一転がんばろう」と思っていたのですが、「ここでも同じか…」と思った瞬間、胸のあたりでポキッと何かが折れたような感覚がありました。

「初出勤の日の朝は晴れ晴れとした表情だったのに、帰ってきたら真逆の暗い表情だった」と数年後、妻から聞きました。

その日を境に少しずつ、おかしなことが起こり始めました。

初めは、なぜか車の運転席に座った時の景色…自分の目の前にハンドルやメーター、フロントガラスが頭をよぎると気持ちが沈むようになりました。

すると徐々に朝がなかなか起きられず、出勤の準備をしている段階で体が重く動かなくなり、玄関に行くのが怖くなってきました。

はじめは「環境が変わったせいかな」くらいに思ていたのですが、数日後、帰宅すると倒れ込むように居間で力尽きたように横になり、脱力した状態で仰向けになると体をとてつもなく重いもので押さえつけられて床に沈み込むような感覚がしばらく続くようになりました。

実はわたしは、このようなことが起こる2年前に弟を亡くしているのですが、仰向けで動けなくなっている間、目の前で弟が亡くなった日から告別式の夜までのシーンが目の前でスライドショーのように移り変わっているのを感じていました。

最後のシーンまでたどり着くと体は動かせるのですが、その時には涙が止まらなくなっていました。また、体の上の『重いもの』は真っ黒な塊で、なんとなく「あぁ…これは不安の塊なんだ」と感じていました。

 

そんな日が数日続いたある日、遅番で出勤すると上司が「大丈夫?」と声をかけてくれました。今思うと物凄く思いつめた表情をしていたのだと思います。

「大丈夫です」と言うつもりが「何だか変なんです」と答えていました。

その後時間をとってくれて上司と2人で話しました。

この1週間くらいの間にあったことを話すと、何だか自然と涙があふれてきて号泣していました。

そのとき言ってくれたのが。「心療内科に行ってみては?」でした。

その方も似たような経験があったらしく、体験談も交えて話してくれました。

 

その日の夜、妻にも話しましたが、「そこまでじゃないでしょ」という感じで「まだ新しい職場で不安なんだよ」と言われたと記憶しています。

でも自分では「そんなんじゃないんだよ…おかしいんだよ」って思ていますが、上手く説明できませんでした。

両親にも話してみましたが、同じように言われ、何とか仕事に言っていたのですが、初出勤から2週間位経ったある日の朝、妻に泣きながら「もう勘弁してくれ」と言う自分が居ました。そんなことするつもりなかったのに…。

そんなわたしを見て、「これはおかしい」と分かってくれたようで、妻も「今日は休んで病院へ行ってみたら」と言ってくれました。

 

ところが、問い合わせてみるとどこも予約がないと診てもらえないところばかり。

丁度、ゴールデンウイークの直前だったこともあり、当日の診察は何件も断られ、ようやく見つかったのが、ずっとお世話になっているクリニックでした。

 

自分では大変な状態でいたのに、診察では先生から「君くらいの症状で来る人は珍しいんだよ。まぁ鬱の一歩手前って感じかな。しばらく休んだ方がいいから、診断書を書くのにとりあえず病名はこうしておくね」と言われました。

この時の先生の言葉、「とりあえず」と言うのがずっと引っかかっています。

とりあえずの病名は「抑うつ性神経症」

のちに別の病院では「重度の鬱」なんて診断もいただいたりするわけですが、「とりあえず」でついた病名が今もそのまま続いてます…なんだかね。

 

長々となりましたが、わたしの心療内科デビューはこんな感じでしたw