今日も迷走中!!~鬱と向き合うオジさんの記録~

毎日迷走中のおっさんのブログです。主に鬱病の体験記です。その他、仕事の事、趣味の事などいろいろと書いていきます。

鬱病と診断される直前のわたし

1月の終わり頃の事です。

ブログを見てくださった方から「体験談を聞かせてほしい」とのメールを頂き、Zoomでお話させていただく機会がありました。

この時に、「鬱と診断される前の当時の状況」などをお話ししました。

お話させていただくにあたり、思い返すと随分と追い込まれていた…自分で追い込んでいた…そんな気がしました。



そういえば、鬱と診断される前の状態ってまだブログに書いていなかったような気がしましたので、今回は書いてみたいと思います。

 

 

診断前の様子をお話しするには、初めて心療内科へ通う約2年前くらいにさかのぼりたいと思います。

 

この2年間は、息継ぎしないで水の中を泳いでいるような感覚がありました。

随分前のTV番組で、オードリーの春日さんが潜水競技の記録に挑戦する企画でブラックアウト(失神)したのを見た記憶があります。息継ぎしないで泳いでいたような感覚だったわたしが鬱になったのは、まさにブラックアウトしたようなものなのかもしれません。

それともう一つあった感覚は、背負っている籠の中に、次から次へと色々なものを投げ込まれて身動きが取れないような…そんなイメージが自分の中にありました。

 

 

介護福祉士の一次試験が終わった直後、弟が急死しました。

 

弟の葬儀が終わった翌日くらいだったか、「こんな時に申し訳ないのだけど…」と、当時勤めていた病院の看護師長から春にオープンする施設への異動の電話がありました。

施設がオープンするまでに研修が何度かありました。

たしか、忌引き休暇が明けた直後だったと思いますが、雪の中系列の施設へ研修に行きました。ですが、所属の病棟が忙しいとのことで、研修はその1回のみしか参加できず、職場はバタバタした状態でした。

春から一緒に働くメンバーと殆ど顔も合わせることなく、介護福祉士の二次試験の翌日に新しい施設がオープンしました。そして、新しい施設では、オープンしてからも色々な事がありました。

公私ともにバタバタした中で、職場が変わるのは、精神的にも体力的にも辛いものがありました。

 

 

わたし自身、弟が亡くなったショックはとても大きかったのですが、両親の様子が心配でした。また、弟の彼女も大きなショックを受けて、よく実家へ顔を出してくれていました。そんな訳で、両親同様、弟の彼女の事も心配でした。

 

父親は、性格的にも自分の事ばかりなので、弟が亡くなったことでショックなのは自分だけと言わんばかりに滅茶苦茶でした。

何でもかんでも、わたしに「あと頼むな」と無茶ぶりが酷く、「俺は仕事で忙しいんだから、お前がやっておけ」と、亡くなった弟の事や実家の事など、いつも以上にわたしへの依存が強くなっていました。あとは心配して来てくれた親戚に怒鳴り散らしたり…。

そんな状況でしたが、わたしが逃げてしまうと父の横暴さが全て母に向いてしまうので、それだけは避けないとと思っていました。

 

また当時、妻の両親と同居する話が進んでいたこともあり、父親から「弟の部屋を片付ければいいんだから…その話を断って家に帰ってこい」と無茶な要望がきました。

それを察してか、義父からも「いまさら白紙にできない」と言う話もあり、板挟み状態でした。

 

だから、わたしは、弟が亡くなったショックと向き合うことも出来ずにいました。

 

職場も落ち着かない、プライベートも落ち着かない…。

でも…「自分の事なんて我慢するしかない…弟の三回忌が終わるまでは…。」徐々にそう思い込むようになっていました。

だから、休日はもちろん、夜勤明けなども自分以外の事で気を回し、動き回っていました。

 

そんな状況が、自分の中では、『息継ぎしないで泳いでいる感覚』に感じていたのだと思います。

唯一、ホッとする時間があったのは、お昼休みに自分の車で休憩を取る30分が唯一の時間だったと記憶しています。

 

 

『自分の事を殺している』状態だからでしょうか…みんな好き勝手に要望を出してきても、それを断る事も出来ませんでした。

 

本当は「え!?何で?そんな事まで??」って思う事でも、徐々に抵抗力が亡くなってきていたのか受け入れてしまうようになっていました。

 

そんな状況が、背負っている籠の中に、次から次へと色々なものを投げ込まれて身動きが取れないように感じていたのだと思います。。

 

 

「今、自分が本当はやりたい事はこれなんだ」

 

そう思っていても、丸く収めるために、切り捨てるしかなかった…

自分の趣味でも仕事の事でも、何かひとこと言われると諦めるようになっていったような気がします。

 

最後の最後まで譲れずにいた事も、鬱が酷くなると手放すしかなくなりました。

 

その時にはもう自分を支えているものが無くなってしまったような気がして、生きていることに何の意味があるのだろうと考えてばかりいました。

 

 

あの頃に…

「弟が亡くなった事は、凄くショックなんだ」って父親の前で泣くことができていたら…

「自分だけじゃ無理だから、一緒にやって欲しい」と家族に協力を求められたら…

「自分の好きなものはこれなんです」「自分はこう考えています」って事が我慢しないで言えていたなら…

 

もしかしたら、鬱にならなかったのかな…そんな風に思ったりもします。

そう思うのはこの頃から、言いたい事が言えなくなってしまったように思うからです。

 

今回仕事を辞めるまでになったのも、やっぱり言いたい事が言えずに我慢していたからなのだと思っています。

 

少しでも「自分はこう思っています」「自分の考えはこうです」と言えていたなら違っていたのかな…なんて思うんです。

 

 

あれから13年程たって、今はようやく、自分の気持ちを大切にしようと考えられるようになりました。

自分と向き合う事を続ける中で、少しずつ意識できるようになってきたと思っています。

 

それでも、まだまだ『ガマン』する癖が抜けずにいます。

それと、自分よりも他人を優先させようとする癖も…。

あとは、自分を追い込もうとする癖も…。

あの頃に付いてしまったこの癖はなかなか手ごわいですw

どうしても、一瞬躊躇しちゃうんですよね…。

 

 

まぁ、躊躇しちゃう所も、自分の個性と思えばいいのかも知れませんがw

でも、自分の気持ちや考えは、少しずつでも出していこうと思っています。

 

 

今回は、メールを頂いたのをきっかけに、鬱病になる以前の事を思い出すことができました。

また一つ、大切な事に気付くことができたので、改めて思い出すことができて良かったと思っています。

良いタイミングで良いきっかけを頂けたと感謝しています。

 

 

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