先日、何気なくYouTubeを見ていました。
見ていたのは、元プロ野球選手の高木豊さんのさんのチャンネルに、ダルビッシュ選手が出演した回です。
そこで、こんな会話がありました。
高木豊さん「メンタルを鍛えると言うのは、ダルはどう考える?」
その質問に対して、ダルビッシュ選手は…
「メンタルを鍛えると言うのは難しいですよね。鍛えるものじゃないと思うと言うか…。いろんなネガティブな事が出てくる。どんどん悪い方向に行きます。
それをいかに受け流すかっていうスキルの部分なので、技術だと思うんです。」
「いろんなことが出てくる事に対して、いかにその話を聞かないか。」
「自分の声として聞いているけど…
『お前もうダメなんじゃないか』
『打てないんじゃないか』
それを自分の声だと僕は思わないようにしています。」
「変な悪い人が自分の声を似せて自分に言ってきているだけで、それは関係ない。」
「とにかく今に集中する。未来の事、考えない。過去の事、考えない。今ここに集中するっていうのが、メンタルを鍛える、強くするって言うのは多分そこだと思うんですよ」
「❝無になる❞に近いと思うんですよね」
それをいかに受け流すかっていうスキルの部分なので、技術だと思うんです。」
「いろんなことが出てくる事に対して、いかにその話を聞かないか。」
「自分の声として聞いているけど…
『お前もうダメなんじゃないか』
『打てないんじゃないか』
それを自分の声だと僕は思わないようにしています。」
「変な悪い人が自分の声を似せて自分に言ってきているだけで、それは関係ない。」
「とにかく今に集中する。未来の事、考えない。過去の事、考えない。今ここに集中するっていうのが、メンタルを鍛える、強くするって言うのは多分そこだと思うんですよ」
「❝無になる❞に近いと思うんですよね」
ダルビッシュ選手のメンタルについての話を聞きながら、「なるほどそうだよな…」と思いました。
今まで、わたしはカウンセリングや本などで得た知識を、メンタルを強くするために必要な事、鬱にならない為に必要な事…そんな風に捉えていました。
そして、知識を得た事で安心してしまっていたように思います。
初めのうちはいいのですが、時間が経つにつれて、余裕がなくなるにつれて、学んだ知識は薄れていくような感じでした。
ダルビッシュ選手のお話を聞いていて、「学んだ知識は、知識で止まってしまっていて、技術として身に付いていなかった」のだと痛感しました。
続けてダルビッシュ選手は…
「周りの事は気にしない。」
「自分がどういう人間かっていうのを、ちゃんと理解するのが先だし、どういう価値があるのかっていうのを、自分で理解するのも大事だし…」
「自分が打てなくても、どうでも全く変わらない…」
「そこに気付くとすごいメンタル落ち着くと思う」
「自分がどういう人間かっていうのを、ちゃんと理解するのが先だし、どういう価値があるのかっていうのを、自分で理解するのも大事だし…」
「自分が打てなくても、どうでも全く変わらない…」
「そこに気付くとすごいメンタル落ち着くと思う」
そんな風にお話しされていました。
わたしなりの解釈ですが、「自分と言う人間をちゃんと理解して、どんな価値があるかと言うのを理解する」というのは、『自分を認める』という事なのかと思いました。
それは、わたしがこのブログを始めてから気付いて取り組んできた事。
以前に比べれば随分マシになったと思いますが、それでもまだまだ、自分を認めてあげることは出来ていないのかも知れません。
やっぱりまだまだ、心が揺らぎますからw
それに、周りの目もまだ気になっている…。
最後に、ダルビッシュ選手の一言で印象に残った言葉があります。
勉強もそうですし、いろんな試行錯誤、成功、失敗、いろんなことがあっての今なので…
この言葉が、物凄く心に響きました。
鬱病になって随分と長い時間がかかって漸く今の状態、考え方に辿り着いたと思っています。
でも、まだまだ試行錯誤している真っ最中だし、成功、失敗を繰り返している最中なんですよね。
そう考えると、まだまだこんなところで落ち込んでちゃいけないような気持になれました。(今落ち込んでいる訳ではないですけどねw)
今回、高木豊さんのYouTubeを拝見して、自分のこれからの方向性(鬱との向き合い方)が明確になった気がします。
まずは、もっと自分を認められるようになって行かなくてはいけないし、メンタルを維持する技術を身に付けていこうと思います。
日々精進ですね…。
興味のあるかたは是非見てください。↓↓↓