現在、就職活動中ですが、鬱病の既往歴があることで、面接前に断られてしまう事が続いています。
やっぱり、鬱病の事が、まだまだ理解して頂けていないのが、世の中の現状なのかなと、感じております。
わたし自身も、鬱病になったばかりの頃は、自分でも病気の事を理解できなかったし、自分の状態を明確に伝えることも出来なかったです。
鬱になるなんて夢にも思わなかったし、「まさか自分が…」と言う感じでした。
だから、鬱になった事を理解するより、どこかで「何かの間違いであって欲しい」「すぐに良くなるはずだ」と思っていました。
その想いを無視するように、鬱症状はどんどん悪化していくから、冷静な判断何てできず、絶望するばかりでした。
そんな状態だから、自分の状態を分かりやすく説明することはできませんでした。
世の中のレールから外れてしまった…そんな風に感じていたから、引け目を感じ世の中の人は、わたしを『厄介者』『脱落者』として見ていると思っていました。
「私は鬱病に対する理解があるよ」という感じの方にも会いましたが、当時は わたし自身がパニック状態なので、掛けてくれる言葉が素直に入ってこなかったのだと思います。話を聞いても、辛くなるだけでした。
辛くなる一番の原因は、こちらの苦しみが伝わっていないと感じるから…。
だから、当時わたしは、「骨折してギプスを巻いているくらい分かりやすければいいのに…」と毎日思っていました。
鬱での苦しみが伝わらない事…それに加えて、鬱病と言うものの世間の認識が良くないのも感じているから、余計に辛いんです。
「働きたくないんだろう」とか、「気合が足りない」とか言われた事もありました。
でもね、「働きたくない」だけだったら、こんなに追い込まれるでしょうか?
働きたいけど、働けないんです…だから辛いんです。
気合で何とかしたいけど、気合も出なければ、身体も動かないんです。
カラカラに乾いた雑巾を絞って、水分を出そうとしているようなものなんです。
わたしが、やっと安心して眠れるようになったのは、家族が病気の事を理解してくれたから。
キッカケは、義父が進める病院へ行ったことでした。
鬱になった当初から、義父が調べてきた病院を受診する事を薦められていたけど、鬱が酷いと出歩くことだって厳しいから、新しい病院へ行くことは、物凄く酷な事でした。
「何でそんな事できないんだ!」と言われても、そういう病気だとしか言えません。
世の中に一歩踏み出すことが、恐怖で動けないんだから…。
だから、義父の薦める病院へ行くのは、死ぬ思いで言った記憶があります。
それでも、「これで納得してもらえるなら…」という思いで受診しました。
病院では一通り、これまでの経緯などのカウンセリングがあった後に、先生の診察がありました。
当時(今から10年くらい前)、わたしの主治医が恒例の方だったこともあり、「随分若い先生だな」と感じていました。
その先生が、「わたしの診断では、あなたは重度の鬱ですね。わたしの父も医者ですが、鬱病の事はあまり理解がないです。わたし達の親世代にはなかなか理解してもらうのは難しいですね」と仰っていました。
当時でていた鬱症状の事も、分かりやすく説明してくださいました。
先生のおかげで、「やっぱり病気のせいなんだ…仕方ないんだ」と納得できました。
そして、「もしよかったら、わたしが、ご家族へ説明しますから予約とってきてください。その時は、ご家族だけで大丈夫ですから。」と言ってくださいました。
後日、妻と義父母で先生の説明を受けに行ってくれました。
そこで漸く、家族に、わたしの病気の事を理解してもらえました。
家族が鬱を理解してくれたら、何だか安心できました。
その先生とは、その時限りになりましたが、きちんと説明してくださる医師に出会えたことは、本当にありがたかったです。
前回、転換期の記事を書きましたが、この先生と出合えて家族に説明して頂いたのも、転換期の一つだったのかも知れません。
やっぱり、一歩踏みだしてみて良かったのだと思います。
わたしが、ブログで病気の事などを書いている目的の一つは、鬱の事を理解してもらいたいという事もあります。
同じような病気の方にも読んで頂いて、何かの役に立てたらとも思いますが、鬱病の方の周りの方に少しでも理解してもらうキッカケになれば…と思うんです。
それは、周りに、一人でも鬱病を理解してくれる人が居るという事は、とても安心できるからです。
もしも、鬱症状が酷い時でも、話を聞いてもらったり、「少し休んだら」と言ってもらえると、救われます。
理解してくれる人が居るから、鬱と向き合う事も出来るし、「前に進もう」『前に進んでいいんだ」と思えるんです。
もちろん、自分自身も鬱病を理解して、病気と向き合うようにならなくちゃいけないけど。
鬱の酷いときにこんな事言うと酷だと思いますが、「分かってくれない」と嘆くだけじゃ、「分かってもらえない」と思います。
自分が勇気を出して、一歩踏み出してみたら、「分かってくれる人」が増えてくるのだと思います。
ブログを始めるのにも、かなり勇気が要りました。
でも、ブログを始めてから、自分もより鬱を理解できたと思うし、理解してもらえる人が周りに増えたような気がします。
わたしのブログで、鬱の方の周りに理解者が増えてくれたらうれしいです。