今日も迷走中!!~鬱と向き合うオジさんの記録~

毎日迷走中のおっさんのブログです。主に鬱病の体験記です。その他、仕事の事、趣味の事などいろいろと書いていきます。

鬱病の理解

現在、就職活動中ですが、鬱病の既往歴があることで、面接前に断られてしまう事が続いています。

やっぱり、鬱病の事が、まだまだ理解して頂けていないのが、世の中の現状なのかなと、感じております。

 

 

わたし自身も、鬱病になったばかりの頃は、自分でも病気の事を理解できなかったし、自分の状態を明確に伝えることも出来なかったです。

鬱になるなんて夢にも思わなかったし、「まさか自分が…」と言う感じでした。

だから、鬱になった事を理解するより、どこかで「何かの間違いであって欲しい」「すぐに良くなるはずだ」と思っていました。

その想いを無視するように、鬱症状はどんどん悪化していくから、冷静な判断何てできず、絶望するばかりでした。

そんな状態だから、自分の状態を分かりやすく説明することはできませんでした。

世の中のレールから外れてしまった…そんな風に感じていたから、引け目を感じ世の中の人は、わたしを『厄介者』『脱落者』として見ていると思っていました。



「私は鬱病に対する理解があるよ」という感じの方にも会いましたが、当時は わたし自身がパニック状態なので、掛けてくれる言葉が素直に入ってこなかったのだと思います。話を聞いても、辛くなるだけでした。

辛くなる一番の原因は、こちらの苦しみが伝わっていないと感じるから…。

だから、当時わたしは、「骨折してギプスを巻いているくらい分かりやすければいいのに…」と毎日思っていました。



鬱での苦しみが伝わらない事…それに加えて、鬱病と言うものの世間の認識が良くないのも感じているから、余計に辛いんです。

 

「働きたくないんだろう」とか、「気合が足りない」とか言われた事もありました。

でもね、「働きたくない」だけだったら、こんなに追い込まれるでしょうか?

働きたいけど、働けないんです…だから辛いんです。

気合で何とかしたいけど、気合も出なければ、身体も動かないんです。

カラカラに乾いた雑巾を絞って、水分を出そうとしているようなものなんです。

 

 

わたしが、やっと安心して眠れるようになったのは、家族が病気の事を理解してくれたから。

 

キッカケは、義父が進める病院へ行ったことでした。

鬱になった当初から、義父が調べてきた病院を受診する事を薦められていたけど、鬱が酷いと出歩くことだって厳しいから、新しい病院へ行くことは、物凄く酷な事でした。

「何でそんな事できないんだ!」と言われても、そういう病気だとしか言えません。

世の中に一歩踏み出すことが、恐怖で動けないんだから…。

 

だから、義父の薦める病院へ行くのは、死ぬ思いで言った記憶があります。

それでも、「これで納得してもらえるなら…」という思いで受診しました。

 

病院では一通り、これまでの経緯などのカウンセリングがあった後に、先生の診察がありました。

当時(今から10年くらい前)、わたしの主治医が恒例の方だったこともあり、「随分若い先生だな」と感じていました。

その先生が、「わたしの診断では、あなたは重度の鬱ですね。わたしの父も医者ですが、鬱病の事はあまり理解がないです。わたし達の親世代にはなかなか理解してもらうのは難しいですね」と仰っていました。

当時でていた鬱症状の事も、分かりやすく説明してくださいました。

先生のおかげで、「やっぱり病気のせいなんだ…仕方ないんだ」と納得できました。

そして、「もしよかったら、わたしが、ご家族へ説明しますから予約とってきてください。その時は、ご家族だけで大丈夫ですから。」と言ってくださいました。

後日、妻と義父母で先生の説明を受けに行ってくれました。

そこで漸く、家族に、わたしの病気の事を理解してもらえました。

家族が鬱を理解してくれたら、何だか安心できました。

 

その先生とは、その時限りになりましたが、きちんと説明してくださる医師に出会えたことは、本当にありがたかったです。

 

前回、転換期の記事を書きましたが、この先生と出合えて家族に説明して頂いたのも、転換期の一つだったのかも知れません。

やっぱり、一歩踏みだしてみて良かったのだと思います。

 

 

 

わたしが、ブログで病気の事などを書いている目的の一つは、鬱の事を理解してもらいたいという事もあります。

同じような病気の方にも読んで頂いて、何かの役に立てたらとも思いますが、鬱病の方の周りの方に少しでも理解してもらうキッカケになれば…と思うんです。

 

それは、周りに、一人でも鬱病を理解してくれる人が居るという事は、とても安心できるからです。

もしも、鬱症状が酷い時でも、話を聞いてもらったり、「少し休んだら」と言ってもらえると、救われます。

理解してくれる人が居るから、鬱と向き合う事も出来るし、「前に進もう」『前に進んでいいんだ」と思えるんです。

 

もちろん、自分自身も鬱病を理解して、病気と向き合うようにならなくちゃいけないけど。

鬱の酷いときにこんな事言うと酷だと思いますが、「分かってくれない」と嘆くだけじゃ、「分かってもらえない」と思います。

自分が勇気を出して、一歩踏み出してみたら、「分かってくれる人」が増えてくるのだと思います。

 

ブログを始めるのにも、かなり勇気が要りました。

でも、ブログを始めてから、自分もより鬱を理解できたと思うし、理解してもらえる人が周りに増えたような気がします。

わたしのブログで、鬱の方の周りに理解者が増えてくれたらうれしいです。

 

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