まだ、平成が終わりを迎えようとしていた頃…わたしが鬱病になって10年目の事です。
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以前の記事⇧にも書きましたが、勤めていた介護施設で鬱が酷くなり「居場所がない」と感じて系列の施設へ異動させてもらいましたが、ここでも色々あり、再び鬱が酷くなり退職しました。
この時、わたしの気持ちはまだまだモヤモヤとして落ち着かなかったのですが、「病院とは別のカウンセラーに話を聞いてみたい…」と考えるようになりました。
何故そんな風に思ったのか…
ひとつには、病院で受けていたカウンセリングが上手くいっていないように感じたことがあります。
鬱になり、初めて行った心療内科で、現在も時々診てもらっている病院です。
当時のカウンセラーから「自分でも対処されているから、何かあったら来てください」と言われていました。
「何かあったら」がいつも同じ事で、同じ話をされて…と言う感じで、何となく手ごたえを感じられずにいました。
異動前の職場には、定期的に職場で読んでいるカウンセラーがいた為、調子を落とした時にカウンセリングを受ける機会がありました。
内容的には今まで病院のカウンセラーと似たり寄ったりでしたが、どこかで「新鮮さ」を感じていました。
この時に「色々な人に話を聞くのもありかな…」と思いました。
それまでは、家族の勧めなどで他の病院を薦められても、新たな人との関わりに恐怖があったので、拒否し続けていました。
なので、「新鮮さ」を感じた自分に驚きました。
その時のことが頭の片隅にあった事もあり、妻に「別のところでカウンセリングを受けてみたい」と相談しました。
その時妻からは「だったら、嫌かも知れないケド、別の病院にも行ってみよう」と言われ、ちょっと怖かったけど、行ってみる事にしました。
カウンセリングは、わたしがネットで、なるべく自宅から近くて通える範囲の個人でされているところと探しました。
病院は妻が、ネットでやはり自宅から近い所で、色々と情報を集めながら、わたしに合いそうなところを探してくれました。
病院の方は、先生と面談して、色々とお話をお聞きしました。その際に先生からのアドバイスもあり、今後も今までの先生に診て頂くことになりました。
一方カウンセリングの方はと言うと…
それまでの話を聞いてくれた後に「こんな症状が出たら、こう対処しましょう」と言ったカウンセリングとは違って、わたしの心の奥に閉じ込めた気持ちを見つけては、固く閉ざした扉をあけて、自分と向き合い、その気持ちを受容する…と言った内容でした。
初めは、何のことやら分かりませんでした。
最初の頃は、正直「こんな事やってて大丈夫なのかな…」と言う気持ちもありました。
「そんなことで治るのかな…」って。
でも、カウンセリングの度に、先生がわたしの仕舞い込んだ気持ちを見つけて触れる度に、毎回号泣していました。
そして、カウンセリングが終わるとぐったりしていました。
今までのカウンセリングでは味わったことのない感覚に「先生を信じてやってみよう」と言う気持ちが強くなって行きました。
カウンセリングの最後に「この時の気持ちを家で書き出してきてください」と宿題を出されますが、これが最初はなかなかできませんでした。
この頃は、先生に見せる事を前提にしていたため、その気持ちになった出来事を説明していたり、どこか気持ちを押さえて書いてしまっていたような気がします。
そして、何度も書き直して漸く自分の気持ちが書けるようになると、その気持ちを「受容」するように言われました。
これがまた、難しかった…
「自分に話しかけるように」と言うのがとても恥ずかしい…だから、とても抵抗がありました。
妻がいない時間にこっそりやってみたり、布団をかぶってブツブツと言いながらやっていました。
でも、ひとつ仕舞い込んでいた気持ちを受容できると、何だかホッとしたような気持と、どこか暖かな感覚がありました。
ただ…今までこのブログでも何度か書いてきましたが、仕舞い込んでいた気持ちは数え切れないほどあって…ひとつ山を登ったと思ったら、その先にまた山がある…そんな感覚でした。
この繰り返しから、「自分と向き合う為のノート」を自分ではじめるようになり、少しずつ落ち着いてこれました。
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この先生との出会いが、わたしにとっての転機となりました。
現在はカウンセリングを辞められてしまったので、時々メールでご相談させて頂いています。
先生には本当に感謝感謝です。
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